ぷそ研//のいのい

 淡く大地を照らす月光を浴びて、田中藍兎は夜の校舎に寝そべっていた。
 窓から差し込む、蒼い光。
 それをガラス越しに受けて、目を覚ます。
「……死んで……ない?」
 時刻を見れば十九時を過ぎたところ。携帯端末で見る日付はクリスマスイヴのままだった。
 小さく、「そうか」、と呟いて、一度目を閉じる。
 死ななかった。
 その事実に、脱力する。それは藍兎にとって安堵ではない。
「望んでもいないのに……。やっと解放されたと思ったのになぁ……」
 太い下縁眼鏡へ潜り込ませるように顔を右手で覆った。目と、眉間を強く揉むと、冷たさを感じた。
「望んで生まれたわけではない。望まれて生まれたわけでもない。望んで殺しているわけでもなければ、望んで死ぬことすらかなわない」
 ぎっ、と強く奥歯を噛んで、そして一気に立ち上がる。
「んむ、腐ってても仕方ないな。仕方ないから生きるか、また。――まったく、神が実在するならば文句の一つも言いに行くところだ」
 言って、はたと気が付いた。
「おお」
 思わず出た感嘆の言葉を自ら聞いて、そしてゆっくりと快い笑みを浮かべる。
「居るじゃないか、“カミサマ”とやらが。しかも半ば死神まがいの軍神殿が」
 にっ、と笑って眼鏡を正す。
「聞いてもらうおうか、僕の願いというものを」
 言って藍兎は歩き出す。月光に照らされた、ほの暗い闇の道を。





 この世界は楽だと、アスタリカ=オニールは思っていた。少なくとも、一つ前の繰り返しの夜までは。
 前夜、生き残ったのは、アリカと館林凛子だけだった。
 流れ自体はあまり把握はしていないが、まず死んだのは不良紳士。二つ前の遺恨を果たそうとした誰かの間に入って死んだと聞いた。
 次は田中藍兎。これは凛子あたりに殺された。確か【闇】を殲滅しようとしている所に、凛子が【闇】へ加担して殺したのだと記憶している。
 その次は藤実勇。これは自分で殺したので覚えている。藤実勇へは「魔法だ」と甘言を呈して死へと誘った。自分に任せれば、“やり直せる”と。案外素直に従ったのが気持ち悪いといえば気持ち悪がったが。
 後の流れは、凛子が【闇】と一緒に自分の敵となるものを喰い散らかしていっただけだった。その流れの中で、立川頼茂も死んでいる。天海陸美と対峙はしたが、結局凛子の制御外の【闇】に呑まれる結果だ。
 そして、それを見て凛子は何かが壊れたのだろうか。誰も敵が居なくなった夜を、ただ【闇】と戯れるように歌い続けて零時を迎えた。
 アリカにとってはプラマイゼロ。魂を一つ得て、そして一つ消費した、何ともない夜だった。
 しかし。
「軍神殿よ、取引をしよう」
 まさか“死なない”ことに不満を示す者が居るとは、アリカは思っていなかった。
 場所は情報科棟二階の踊り場。月光の差し込むガラス側に藍兎。通路と階段の間にアリカが立っている。
「僕が死んだならば、ちゃんと君が喰らってくれないだろか。なに、簡単な話だ。僕が世迷わないようにしてくれれば、それだけでいいんだ」
 参った参った。これは参った。
 アリカは内心苦い顔を作る。それを表に出さないように、必死に思考をめぐらせ、言葉を作る。
「アタシ、別に道祖神と違うんだけど。流れた血程度にその地を見守る豊穣神なんだけど」
「半ば死神ではないかね。というかむしろ邪神だろうに」
 どちらにせよ神様なので良しとする。問題は、藍兎がこの世界をどう把握しているかだ。
 現実の中にある超常現象か。それともシステム夢幻の作り出すただの夢か。
 ――システムと把握して、絡んできてるだけなら……余計に厄介よね。
 アリカは藍兎と関わって、いくつかその性格を把握し始めている。その一つは、「思いつきでゲームを始める」こと。
「……そういう事ならお断りするわ。勝手に世迷われて因縁付けられたら嫌だもん」
「ほほう、では君は魂を食い散らすだけの餓鬼というわけか。僕はガッカリだね」
 言葉に小鬼達がゲラゲラ笑う。一匹が藍兎の頭に乗ってぽんぽんと叩くが、藍兎に気にした様子はない。代わりにすっ、と目を細め、腰に提げた愛刀を抜く。
「今夜は安心して死ねるかと思ったのに、残念だ。まぁ、気が向いたならばよろしく頼むよ軍神殿」
 そして愛刀を軽く振りながらアリカとすれ違い、階段を降りて行った。
「どこ行くの? また【闇】狩り?」
「【The_Monster】に関しては、彼女らの手に負えなければ討ち滅ぼすさ、僕が。が、今は別だ」
 そこまで言って、足を止める。藍兎はアリカへ振り返り。
「君は“あの後”を知っているんだろう? 本当に討ち滅ぼさなくてはならないのは誰なのか。僕ら人間が、人間の手で決着をつけなければならない相手は誰なのか。僕はそれを討ちに行く」
 つまらなそうに、不快そうに言う藍兎に、アリカも苦い顔をして肩を落とした。
「じゃあ一つだけいいこと教えてあげるわ。その娘、アンタみたいに前の夜の記憶持ってないわよ」
 言葉に藍兎は視線をはずし、少し考え。
「ならばまた僕が悪役か。参ったね」
 参ったと言いながら、藍兎は降りて行き――数分の後に、館林凛子の首をはねた。
 夜が夜ならば、闇を全て従えて、全てを喰らいつくす魔女の、その首を。
 月明かりの差し込む情報工学科棟の階段を、アスタリカ=オニールは登ってゆく。
 長い左腕を振り上げ三段ほど上へ乗せ、右手で手すりを掴んで身体を引き上げる。周りの小鬼はぴょんぴょんと跳ねて登ったり降りたり落っこちたりだ。
 その小鬼を見て、随分減ったとアリカは思う。
 数自体は減っていない。ただ、半透明の小鬼が増えてきた。
 残りの魂は50。増えたり減ったりしてのこの数であり、それはすなわちアリカの寿命そのものだった。
「まぁ、コツは掴んできたか」
 安全に魂を得るためには、その対象が魂を軽んじ、さらにその対象を殺しても怒り狂って報復するような人間が居なければいい。
 つまり、誰かが殺されるのを待ち、復讐を果たすなりなんなりして人生に絶望した者の前に立ち、「人生をやり直してみない?」と問い掛けて魂を奪えばいいのだ。それをやったのが、一つ前の周の藤実勇。
 左の腕を振り上げ階段へとおろし、がったんがったん鳴らしながら階段を登って行く。と、次第に話し声が聞こえてきた。
「――むかーしに田中の本家で見かけたときはそこらの子供にカンチョー食らわせまくっていたあなたが! 今ではむちむちぼいんぼいんのクールレディ! あなたにっ、あなたに身長百四十五センチ、色素薄くて天然茶髪の藤実みたいのの苦労がわかるのですかっ」
「お姫様みたいで可愛いわよ。……っていうかむちむちって言わないで」
 声と会話内容から、藤実勇と天海陸美だと予想した。珍しくくだらないことで言い争っているなと思う。時間も八時半。藍兎も動き、そろそろメンバー同士の諍いが始まる頃だが、今回は話の内容から察するにおそらく命の奪い合いには発展しないだろう。
「何よりそのボインのインボーが!! 私はッ! 藤実は! 巨乳帝国に宣戦布告しますッ!!」
「お、落ち着きなさい藤実、それは宣戦布告した時点で負けてるからっ」
 ホントくだらないなぁと思いながら階段を登りきった。階数は3。ぷそ研と噪研のある階だ。
 目の前の休憩所には予想したとおりの人物が居た。
「あんたたち、戦争するなら手伝うけど?」
「現れましたね巨乳帝国の手先! 藤実の藍兎は渡しませんよッ!」
 魂は欲しいけど、別に本人は必要ない。
「あー、ユーキの頭の中じゃ、アタシたちはアイトを巨乳帝国に引き込む、悪の幹部なわけか」
「はいっ、巨乳死すべし! そしてそのおっぱいを藤実に!」
 陸美はいいかげんゲンナリして手を振った。
「ヨモギにでも頼めば変化してもらえるわよ。まぁその間胸にぺったりひっつかれるわけだけど。……私は行くわ。ちょっとシステム夢幻が変な暴走してるみたいで。田中探さないと」
 何故アイトか、とアリカが問えば、それに答えたのは勇だった。
「そうですね。藤実が付いていないと、あの子は何を仕出かすかわかりませんものね」
 そうそう、と陸美が頷き――はたと、表情を強張らせた。
「その割には……落ち着いてるわね。藤実」
 勇はにっこりと笑い、「はい」とだけ返した。そして一瞬、視線だけを窓の外――階下の中央広場へと移す。
 陸美は舌打ちをして急いで階段を駆け下りた。踊り場で窓を開き、そこから出ようとするが、尻がつかえてそこからは外に出られない。
 その様子を、高い位置から見下ろす勇が鼻で笑っている。
「何、時間稼ぎしてたの? ユーキは」
「はい。丁度機嫌も悪かったので毒も吐いていました」
「窓の外、いい?」
 どうぞ、と勇が場所をあける。眼下の中央広場には頼茂とヨモギ、【M】とみられる闇と藍兎が入り乱れて戦っていた。よく見れば、頼茂はヨモギと【M】を、ヨモギは頼茂と【M】の相手をして、藍兎は時折、そのバランスが一方に崩れないように調整をしているように見えた。
「何やってるの? あれ」
「おや? ちょっとタイミング早かったですか。藤実、失敗かもしれませんね」
 アリカと勇が仲良く並んで様子を見ている。と、やっと陸美が情報科棟出入り口から現れた。窓から出るのは諦めたのだろう。同時、それを待っていたかのように凛子が本館棟から余裕の表情で現れる。
「あ、グッドタイミングです。本命が来ました」
 凛子がチョーカーを外し、喉を開き――直後だ。長大な日本刀が一閃。凛子の喉を真横一文字に切り裂いて、首が落ちた。
 血は出ない。代わりに切り口の一部が青白く砕けて夜空に霧散する。
 月光にも似たその光に引き寄せられるように【闇】がたかり――それを泣きながら頼茂が蹴散らす。
「……なに、あれ」
「諸悪の根源です。成長する前に仕留められて良かったですよ」
 本当に“良かった”という表情で勇は満足そうにため息をつく。
「アレの跋扈する世界は……酷いものだったでしょう?」
「何が酷いんだ?」
 二人の背後から声が聞こえた。手に火の着いていないタバコを持った不良紳士だ。騒がしいので研究室から出てきたのだろう。
「あ、見ての通りです」
 そして勇は場所を空ける。ほどなく、踊り場よりも大きな窓から、不良紳士は飛び出した。アリカはそれを無言で見送る。おそらく、着地は成功だろう。しかし――。
「何より、これから藍兎の活躍が見られるのが、藤実としてはなんともワクワクしますね」
 程なくして、不良紳士は殺される。逆上する頼茂と藍兎の間に入り、しかし協力して頼茂を治めようとした陸美から、その頼茂自身を庇って、死んだ。
「……さて、紳士も亡くなりましたし。あとは天海さんですね」
 勇はぴょこり、と小さくジャンプして方向転換をする。
「アスタリカはどうします? 藤実はこれから、藍兎が【M】を掃討するので、その邪魔になるものを排除しに行こうかと思うのですが」
 問われたアリカは外を眺めたまま短く返す。
「遠慮するわ」
「そうですか。藤実と一緒にいるとお得だと思ったのですけどね。何より――アリカは藤実の魔法を知っていますから」
 横目で見れば勇は自慢げに口元を歪めている。
「魔法……ねぇ」
「おや? 当の本人は記憶のリセットですか? あの根源を討てたのも、元をただせば藤実のおかげなのです。“やり直したい”と、“藍兎を助けたい”と強く願った、想いのチカラなのですよ」
 ふぅん、とだけ言って、アリカは勇を見送った。
 一人になったアリカは小鬼を蹴り飛ばしながら呟く。
「んな都合のいい魔法があったら、アタシが使いたいなぁ」
 眺める。眼下では一つの戦闘に決着の幕が引くところだった。
 情報科棟三階。その休憩所は中央広場に面している。とは言え三階であり、その窓から出はできるが入る者は居ない。
 本来はそうであるその開け放たれた窓から、飛び込むように入ってきた影があった。
 赤い瞳の天海陸美。
 乱れた髪と汚れた顔がアスタリカの目に入る。そして陸美は何か巨大なものを抱えていた。
 それが不良紳士の身体だとアリカが気付くまで、少しだけ時間がかかった。
 まだ、息がある。
 遠目には絶命したと思われた紳士だが、まだ辛うじて息はあった。
 陸美はアリカに声もかけず、引きずるように情報科棟の奥へと紳士を運ぶ。
「治療しても助からないな、あれは」
 しばらくして紳士が絶命したころ、また陸美に会おうと思う。そこにつけこんで、陸美を殺せば彼女にしてみれば時間が巻き戻ってやり直しができるのだ。陸美にとっても悪い話ではないだろう。
「……まったく、姑息になったものだわ。アタシも」
 軍神アスタリカ。戦場に出ては魂を喰らい、その流れた血の分程度はその場所の発展を見守る豊穣の神。それが今ではハイエナだ。
 自嘲気味に笑えば、げらげらげらと小鬼達が笑う。
「……ん。そうだ。忘れてた。アタシは軍神アスタリカ。神様だよね」
 にぃと笑って小鬼を一匹地に着いていた左手で掴む。特に小鬼は抵抗しないで、アリカと同じ表情でゲッゲと笑っていた。
「うっし、んじゃ戦場に出るかー。ヨリシゲはリンコの死体持ってどっかに逃げたし。まぁその辺の影で泣いてるんだろうけど。あとはアレか、アイトか。アレは【M】殲滅するつもりなのかねぇ」
 一番戦場の匂いがするのは、そこだ。
「ユーキはありゃ駄目だね。戦場というより……サスペンスっぽい」
 先ほどのさばさばした様子から暗躍という印象は持たないが、しかし裏方で藍兎のサポートをするつもりではあるようだ。友人・知人の死を目の当たりにしてあの落ち着きようには違和感を感じたが、それも記憶の継承と“田中”の家と関わりがあるのかとも思う。
 陸美という“非常食”の存在も把握できた。それならば戦場に出ようとアリカはエレベーターで階下へ降りる。ガラス張りのエントランスホールは、遠くからでも中央広場の様子が見て取れた。
 藍兎と【M】。
 そこでは藍兎が一人で【M】と戦っていた。【M】の形状は獣が五匹。その他、暗闇の奥で何がしかの息遣いが聞こえる。おそらく次から次へと【闇】から生まれ続けているのだろう。
「む? もう少し早ければ僕が助かったな!」
 【M】を斬り捨ている藍兎は、しかし息が上がって辛そうだった。
「うははははっ!」
 アリカは笑いながらガラス扉を蹴り開けて直刀を抜いた。
 右上から殴りつけるように藍兎へ一閃。
 しかしそれは愛刀【吉備津彦・壊】に止められる。
「あ、案の定かね君はっ! 不意打ちとは姑息だなっ!」
「だって【M】殺したって腹にたまらないんだもんっねっ」
 刃を弾き、間合いを取った藍兎の肩には、小さな仔狐が一匹乗っていた。その仔狐は、辺りに充満する【闇】を一生懸命ぱくついていた。ヨモギだろうか。
「ならば三途川の舟渡しになる気にはなったのかね!?」
 問いには舌をんべっと出して。
「やなこった」
 さらに。
「んな腐った魂は食べても戻しちゃうかもね、アタシ。――また、この悪夢の中に、ね」
 言いながら心の中でこぶしを握る。上手い言い訳が出来た。さすがアタシ。さすが神。と。
 その思いが顔に出たのか、藍兎はむっとした様子で言葉返す。
「君は本当に……っ! ならば一つゲームをしよう」
 しかし藍兎の動きは【M】を霧散させることを優先し、アリカの相手は二の次としている。
「何でこんなときにっ。自分の命の心配をしなさいっ」
 アリカも藍兎の刃から【M】を守るように立ち回る。一対一では勇が戻ってきたときに分が悪い。
「ふふっ、僕はゲーム脳なんだよ。――ルールは簡単だ。君の正体を、君が言う。僕が納得すれば、君の勝ちだ。命でも魂でもくれてやろう。その後のことも文句は言わない」
 それは良い話だ。ゲーム一つで魂が得られるならば。しかし。
「なんでアンタはアタシの正体を知りたがるかなぁ!」
 左腕の車輪を鳴らして藍兎にぶつける。
「“田中家”の対応のためだよっ。君がただの“魂喰らいのアスタリカ”では困るんだ!」
「なんで!」
 散々それを理由に刃を交えてきた。とは言え、最近はその回数も減ってきたように思える。それは。
「簡単な話だ。考えたまえよ」
 不機嫌そうに【M】を斬り捨てる。
「神様を自称するならすればいい。僕も否定はしない。しかし、神であれ、なんであれ、地球人類に害を及ぼすだけならば、僕らは君に対して武力をもって対応させてもらう! ゆえに、君の命をかけたゲームだ、僕の軽い命も賭けようじゃないか!」
 言った藍兎の耳元で、仔狐が不機嫌そうに鳴いた。これは間違いなくヨモギだな、とアリカは確信する。だから。
「ヨモギっ! お稲荷さん三つで裏切らない?」
 左手の甲から弾丸を藍兎に発射する。同時、仔狐がどろんと化けた。巨大な銀狐だ。
 そのキツネの口が、大きく開き――藍兎もアリカも、あたり一面の【闇】を呑み込むほどに展開された。
「ちょっ、ヨモギ!?」
 問答もない。そのままぱっくりとみんなまとめて喰らいつくされた。
 アスタリカは、獣臭い唾液にまみれながらべったりべったり歩いて情報科棟脇の小さなため池に入った。直接見える場所にはないが、藍兎も中央広場脇のため池でヨモギの唾を落としているだろう。
 そして学内には、無数のキツネが駆け回り、【闇】を駆逐していた。
「ったく、くっさいなぁ。唾なんてつけなくても良かったでしょうにっ」
「喧嘩両成敗なのさ〜」
 いつもより少し軽めの調子で一人だけ人間の形態をとっているヨモギが答えた。
「結局アイトも食べられなかったし。……アイツってさぁ、持病とか持ってるの? 軽い命とか言ってたし」
 ん〜? とヨモギはふらふらとアタマを揺らし。
「ああ、不治の病で“ゲームオタク”を発症してる。いやー、俺も伝染されちゃってなぁ」
「聞いてないよ」
「うへへー、俺今すげー濃度低いから、ろくなこと言わんぜー? 本人に聞きなー」
 流体人は濃度で表される。ヨモギはトップクラスの濃度を持っているそうで、何十匹のキツネに分離しても、それぞれがそれぞれに“ヨモギ”として機能するらしい。
 本来流体人は、ゆっくりとその星の環境を侵食するように流体化させて濃度を高める。対し、【M】は単体では増えることは出来ず、流体人を食べて増えるのだという。
「これで【M】は絶滅……か。折角生まれたのにね」
「ん〜。どうなんだかね。【M】は本来、“怪物ってのはこういうものだ”っていう【怪物の概念】なんだよね。それって人類の概念じゃん。生んだのは人間だからさぁ……。実在するために俺らの身体使ってるだけだし」
「ふぅん、んじゃあ、また生まれるかもしれないんだ」
 問えば、べちゃべちゃと音を鳴らして藍兎が歩いてきた。
「言われてみればその通りだ――が、まぁ、また生まれても彼らもそのうち気付くだろう。自分自身に“生きる資格”がないことに」
「なんでよ。生まれたんだからいいじゃない」
 不満げに言うアリカに藍兎は鼻で笑う。
「その答えもまた、君の正体と“田中”の対応に関わってくるだろうね」
 提示されたゲーム。アリカ自身が、その正体を藍兎の納得する形で提示する。そうすれば、藍兎は魂を差し出すと言っていた。
「なんでよ。神様じゃいけないの?」
「君は……人の話は聞きたまえよ。僕はそれは悪いなんて言ってないだろうに」
「やーい、ばーかばーか」
 チャチャを入れたヨモギを池に引きずり落とす。代わりにアリカは池から出た。
「問題は“魂を喰らう”というところだ。君が本当に“魂を食べなければ生きていけない”生物であるならば、僕は納得しない。仮に君が無自覚の流体人であれば、情報をエネルギーにする生物であるから、本当に君が“生まれてしまった”可能性はあるんだ。ならば君を野放しにすることは出来ない」
「なるほど、意訳すれば神をおそれているわけだ。アタシ、超感心した」
 その言葉に返答はない。鼻で笑われただけだ。
「畏敬の念を知りなさいよ。……つまり、流体人じゃどっちにしろ納得しないわけだ」
「魂の情報――というには語弊があるが、“人を殺した”という情報だけではなく、他の情報もエネルギーに出来る雑食であれば構わないけどね」
「情報がエネルギー? アタシ、流体人に詳しくないから今ひとつ理解に苦しむんだけど」
 言えば池の中からまた「ばーかばーか」と聞こえてきたので足蹴にしてやった。
「僕は説明は苦手なんだ。簡単には“流体は情報を糧とする生物である”とだけ言っておく。詳細は天海さん辺りに聞いてくれ。――他の可能性として、【M】というものもなくはないが……基本アレは、人間の恐怖を糧にしている。人間の想像力が根幹にあり、それを煽って新しい怪物の概念を想像させようとする。そしてそれを体現する手段として流体人を食う。そんな脆弱な現象だ。何より……」
「何さ」
「基本、“主観”というものがない。言ってしまえば、“個”がないんだね。まぁ、観察した限りではあるんだけど。君にはあるだろ? 自分が軍神であるという、誇りが」
 それはもちろん、と胸を張った。
「ならば【M】の可能性はなさそうだな。アレにはない。対話さえしようとしない。理解し会えた時点で、あれは“怪物”としての存在意義を失って消滅するだろう」
 はたしてそんなに弱いものなのだろうか、とアリカは思う。
 生まれたものが、そんな簡単に、“今の自分に意味が無い”というだけで消え去るものだろうか。
「あとは君の正体のもう一つの可能性として……。僕の中で、これが最も有力だが君が擬似人格プログラムである、という可能性がある」
「擬似人格……?」
「そう、AIと置き換えてもいい。茅ヶ崎竜也、という名前に聞き覚えは?」
 む、どこか知っているな、と思い出す。直後。

   明日 誰か
     鬼 要るむらんと 欲するも
      血が咲き乱れぬ
    発つや 今宵は

 遠くで小鬼が夜空に詠った。
「あ、思い出した。噪研の特別研究員だ。ネームプレートに書いてあった」
「そう。現在はわけあって市の研究所に出向しているんだが……彼の研究が、いわゆる人工知能の研究でね」
「ワケ言ってやれよー。妹が病気でその入院費稼いでるんだとさー。すげー。涙出るー」
「ヨモギが言うとうそ臭いわ。んー、なんかもうどうでも良くなってきた。話長いー」
 事実は違う。アスタリカには話を切り上げたい理由があった。
「喋り甲斐がないなぁ。君の事なんだからもう少し真面目に聞きたまえよ。まぁ、簡単に言えば、システム夢幻を利用した“夢の中で誰かを演じるシステム”を研究していたわけだ」
 明確な“不安”。それが今、アリカの胸の中で渦巻いている。
「目的は歴史上の人物の行動再現や、事件現場の再現などだそうだ。僕個人としては、是非ロールプレイングゲームに実装してもらいたいと思って、実用化をドキドキワクワクしながら待っているわけだが」
 不意に池の中のヨモギも立ち上がり。
「俺もー。茅ヶ崎先輩超期待〜。愛してる〜」
 沈めなおした。
「ただ、そうだとすると、だね。新たな疑問が生まれてくるわけだ」
 問いに、思う。
 ああ、この問いは、前に投げかけられたな、と。
 “この悪夢から目を覚ましたときに、自分はアスタリカでいられるのか”。
 そして。
「茅ヶ崎先輩のシステムを利用しているならば。誰かの見る夢だというのなら、君は、何者なんだろうかね」
 “アスタリカ”という夢を見ている人物が何者なのか。何故、こんな悪夢の中に入ってきてしまったのか。
 何故こうも――この悪夢から覚めたいと思わないのか。
「……何者なんだろうねぇ」
 ふむ、と藍兎も小さく笑う。
「答えが出たならば訊ねたまえよ。僕はいつだって受け付けるよ」
 言って手を振ればヨモギも池から上がって、隣のソメイヨシノの脇に立つ。続けてそのヨモギを中心に、無数のキツネが集まり融合した。
 キツネ耳と尻尾を三本生やしたヨモギが、ぺろりと口元をなめる。
「遅くなったけど、ごちそーさんっと」
「アレだけ食べて三本か。九尾の銀狐とかカッコよくならんかね、君は」
「なったら絶対笑うし」
「当たり前だ。腹抱えて“かっくい〜”って言ってあげよう。……さて、僕も喋っていて大概体力回復できた。良い時間潰しになったよ」
 時計を見れば21時過ぎ。うっかり時間を無駄にしてしまった。
「うわー、何、アタシの寿命あと三時間ないじゃない。アンタ体力回復って、だから話長かったの!?」
「ふむ? 僕は体力ないからね。実益も兼ねての世間話だよ。グダグダ話は大得意だ」
 とりあえず殺意が沸いたが我慢する。まともにやりあって勝ち、その上で勇の報復に備えるのは厳しい。しかも今はヨモギもいる。ヨモギも比較的紳士と同じで目の前で戦闘が起こると止めに入りたがる面倒な生物だ。そして“問い”に対する答えもなければ、次の夜に何を言われるかわからない。非常に面倒だ。
「あー、損した。すっごい損した。アンタ持病とか持ってるの? 戦闘でぽっくり逝ったりしない?」
「僕の持病? ああ、オタクは死んでも治らんよ。なんだねその目は、神様らしくもう少し温かい目で見守りたまえよ、冗談だ。――真面目な話、姉を亡くしたそれと同じ病を持っているよ。手術もして、治った、とは言われたけれどもね」
 おかげで体力がなく、長時間の戦闘は無理だと言う。
「あー、そう。んじゃあ今度はそんな弱ってる所を狙うわ。……とりあえずどうしよう。リクミのところでも行ってみるかなぁ。紳士のこと殺した〜って絶望してれば、アタシが魂を奪ってあげるか」
 言って情報科棟を見上げる。丁度ため池側から見える位置に、ぷそ研の研究室の窓があった。噪研かぷそ研か。どちらかに陸美は居るだろう。
 ふと、見上げたそのぷそ研の窓に人影があった。
 陸美だろうか、と見てみれば特徴的な金のリーゼントが揺れる。
「なんだ、生きてたんだ」
 それじゃあ陸美は絶望しない。当てが外れてしまったな、とアリカは思う。続けて紳士の人影にもたれかかるような黒髪も見えたので視線を外す。
「まったく人が見てないと思っていちゃついて」
 ため息をつくが、別に構わないとも思う。最低限、アリカ自身の邪魔にならなければ何をしていてもそれでよい。
 しかし藍兎は先ほどアリカが見ていた場所を凝視していた。それも、強い嫌悪感をあらわにした顔で。
「ヨモ。だから僕は“流体人”が嫌いなんだ。命の意味を、理解していないッ」
 ヨモギは視線を外し、「こういう責任の取り方しかできないんだ」と苦い顔をする。
 何の話か、と考えて、アリカも一つの可能性に辿り着いた。再度金髪と黒髪を見る。
「ああ、そうだ。君も……いや“魂喰らい”ならば最も理解できるだろうアスタリカ! あそこに見えるモノのほとんどは、“紳士に擬態した流体”だ!」
 死んでしまう、と。助からないと知って。彼の“死体”を使って、再度“機能”するように“流体”で補強した。もし、そうだとするならば。
「……アタシが殺しても……魂はもう、喰らえないんだろうね」
 アリカはそう寂しそうに呟く。
 それは果たして、“不良紳士”と言えるのだろうか。しかし、何よりの関心事は“魂が得られるか否か”だ。そしてそれをアリカは“得られない”と結論した。なぜならば――生まれたばかりの魂に価値はなく、長く生きるからこそ、“神”はその魂を奪っていくものなのだから。
「待ってよ! だって、それならアマちゃんだって文字通り“身を削ってる”わけだし――!」
 言った直後だ。
 “不良紳士”が降ってきた。
 ヨモギの身体を引き裂く、爪をもって。
 不良紳士がため池へと降り立つ、その数十分前――。

 小鬼が一匹、人間を見ていた。
 笑う事も、騒ぐこともせず、ただジッ……と、遠くから静かに見ていた。
 小柄なその体格に、フリフリと揺れる緩いウェーブの髪の女性――藤実勇は、ガレキの山を登っていた。
 その手には仔狐の尻尾が握られ、当のキツネはグルグルと振り回されている。
「ですからね、あれはきっと“この世界に捨てられた”、かわいそうな子だと思うのですよ」
 フンフンフンと鼻歌交じりに仔狐に言うが、それに対する応えはない。
 場所は足枷工大の本館棟内。亜噪域化したその空間の中を、かつてヨモギは「超怖い」と評していた。本当の噪域に入れば、ヨモギのような流体人は、その元である流体素レベルで消滅してしまうからだ。
「藍兎は優しいので、やんわり〜と気付かせようとするのでしょうけど……」
「確かに茅ヶ崎さん優しいから、“人間にみえるもの”を殺したりできないかもしれないけどさぁ……」
 一歩進めば景色をかえるその空間は、いつの間にか大きな月の見える屋上になっていた。
「藤実も根性ないので遠慮ですね。ですから――」
 亜噪域の外。通常の“夢”の中で、勇は一組の男と【闇】を見つけた。
 そして力の限り、仔狐を【闇】へと投げつける。
「頼みましたよ! ヨモギ!」
 便利な道具のように扱われた仔狐――ヨモギのひとかけは、正しく道具のようにぐるりと巨大なキツネの大口へと変化した。
 ぱっくりとあけられた口。その中へ、迷うこともなく砲撃が撃ち込まれた。
 青白い光となって霧散したヨモギの欠片と、砲撃の煙、そして、【闇】が混ざって夜空に溶ける。
 煙が晴れる。
「あなたも、人間ではなくても他者を守れるクチですか。頼茂」
「なんできやがったんだよっ。放っておけよ。おれらなんて」
 そこには立川頼茂と――首の落ちた、館林凛子があった。
「確かに藍兎は放っておく方向なのでしょうけどねー。……藤実は知っているのですよ」
 屋上の手すりの上で、小鬼がげげっと喉を鳴らす。
「それ、もう凛子ちゃんじゃないですよ?」
 言うと同時、凛子の“首”から【闇】があふれ勇へと襲い掛かる勢いで噴き出す。
「ナイトッ!」
 それを止めたのは、頼茂の声だった。
 そしてゆっくりと、震えるように【闇】は凛子の頭の位置に獣の頭を形作った。その頭は、吠えるような、しかし夜空に消えるような力ない声で言葉を作る。
『おかあさん……』
 嘆き。
 その【闇】は、確かにそう取れる言葉を作った。
「ナイト。もうお前の“おかあさん”は居ないんだ」
 奥歯を噛むように頼茂が言う。“ナイト”は大切そうに凛子の“頭”を抱きしめる。
 小鬼は、じっとそれを見ている。
「俺は……わかってるよ。藤実。あとは“こいつ”にわからせる。ありがとうな。だけど――」
「違うのですよ、頼茂」
 勇は特に表情を作らず背伸びをして、撃甲をセットした。戦闘態勢を作る。
「“私”は、あんたのためなんかじゃなくて、藍兎のために動いているんですよ? いつだって」
 強く一歩を踏み込んで――。
「そう。あなたと付き合ったのも、全て、藍兎のためだったんですよ。結果を見れば」
 頼茂の顔が大きく歪んだ。
「ホント憎たらしい子ですよね? 藍兎は」
 同じく勇も顔を歪め、大きく拳を頼茂へと捻り込む。

 そして小鬼は、げぇと鳴き――興味がなくなったとばかりに、屋上から転げ落ちた。


 夜空がある。淡い光を放つ月は、変わらぬ光を放っている。
 アスタリカオニールは、降って来た不良紳士を見て思う。これは明確に不良紳士とは――人間とは別の生物だと。
 池の水にぬれて落ちた金髪はアゴほどの高さまで落ち、むき出しのキバからは白い息と唾液が流れて落ちている。
 学ランはボロボロに破れマントのように揺れて、中に着ているフリルの付いたシャツがそのまま中世の貴族の装いとして見えた。
 何よりルビーのように煌々と光る赤い目は、人間のそれではなく――天海陸美の見せる瞳にとても似ていた。
「……不良紳士……哀れです。僕は……悔しく思います!」
 ヨモギを切り裂き、逃げ惑う仔狐の一部を喰らう、紳士だったモノ――“怪物紳士”を見て藍兎は眼鏡の奥に小さく涙を溜めた。しかし、それだけだ。愛刀【吉備津彦・壊】を引き抜いて半透明の刃を作り、構える。
「天海さん! さっさとこっちに落ちてきなさいよ! あなたもまとめて僕が全て砕き散らしてあげますから!!」
 犬歯をむき出しにして藍兎が叫ぶ。その言葉に押されるように、黒い塊が情報科棟から落ちてきた。
 アリカはどさりと落ちたその塊の上体を抱き上げた。そしてその顔を藍兎へと向けてやる。同時。
 ――こりゃここでトドメ刺してもろくな魂得られないなぁ。
 そう算段したので、陸美の魂は諦める事とした。経験上、流体濃度の下がった流体人からはヒト一人分の魂が得られないことが多い。分裂したヨモギなどがそうだ。
 今の陸美も、多くの流体を紳士の“復活”のために使ったのか、衰弱しているのが見て取れた。放置すればそのまま【M】に喰われて消えるだろう。
 ふと思い出す。陸美やヨモギは【M】に喰われても記憶を継承しないことを。それは【M】が流体を乗っ取って利用しているため、システムが“死んだ”と認識しないからだろうか。
 ――それとも“誰か”に殺されなきゃ記憶を受け継がないシステムなのか。
 そんな思考を遮る小さな声がアスタリカの耳に入る。
「ごめんなさい。ごめんね。ごめん……」
 陸美の、小さな懺悔だ。
 高く声を上げることはない。深く、深く、涙を溜めながら悔いているだけだった。だからアリカは小さく囁く。
「大丈夫だよ。間違えただけだから。大丈夫」
 右手で優しく頭を撫でてやれば、陸美は力なくすがるように左腕に触れる。
 例えば生まれてくる場所を間違えたもの。例えば正しくはない心。例えば他と違うもの。それらを否定する心を、アリカは持っていなかった。
 小鬼が笑う。

『生まれよう』『産声を上げよう』『それはきっと祝福されるものだから』

 間違っていようが。恨まれようが。憎まれようが。

『全力で』

 生き残ろう。
 それは「正解」だと、アリカは思っている。他者の魂を喰らうアスタリカは、だからこそ「生まれたもの」と「生き残ろうとするもの」を否定しない。否定するのはアリカ自身が生き残ろうとする、その「正解」のためのみだ。
 しかし、眼鏡をかけた洋服の上に和服を着る大柄の女性が否定の声を上げる。
「流体人の後始末……人類への脅威の払拭……。本来それらは人類と流体人、両者が手に手をとって行うものだった!」
 それは明確な、批難の声だった。
「それが見てくださいな! このザマを! 能力もないのに“任せて”などと言い! そりゃ僕や勇ちゃんのような“保険”だって置きました。が! それを使うような事態になってどうしますか! 流体人!!」
 その責めの言葉にただ「ああ、ああ」と涙を流し、すがるようにアリカの身体を陸美は掻き寄せた。弱く、崩れた姿。
 それでも、アリカは知っている。
 幾度の繰り返しの夜の中、天海陸美という流体人が、どれだけ自分で考え、自分で判断し、自分で苦労を背負ってきたかを。
 それはおそらく、努力というものだった。
 それを知っているからこそ――アリカは藍兎の言葉を黙って聞いていた。
「ヨモに遠慮するなら、最初から僕に頼りなさい。僕が頼りないなら、僕を“田中”という組織だと思って頼りなさい! 僕はこの現状と、あなたの今までの行動に! 非常に――」
 藍兎の言葉の最中、“怪物紳士”が翼を広げ羽ばたこうとした。それを藍兎は真上から愛刀で叩き落す。
「非常にムッカムカ来てるわけですよ!!」
 その藍兎の言動に「これはまずい」とアリカは陸美を支えるのをやめて立ち上がった。その刹那。
「お願い神様――」
 その言葉だけを、陸美の口からアリカは聞いた。
 だからアリカはイヤな顔を一つ作る。
 ――ちゃんとアスタリカ様、って崇めてくれればなぁ……。
 どこかの神様に頼んだのか。それとも自分に頼んだのか。それだけで“神様”としてのやる気が変わってくる。
 しかし、まぁ。
「だけど、まぁ」
 聞いてしまったので仕方ない。
 ははっ、とアリカは快く笑う。
 笑って“怪物紳士”と藍兎の間に割って入った。
「案の定“そっち”の味方をするかねっ、アスタリカッ!」
「私はッ! 生まれたもののッ! 味方だからねッ!」
 にぃと笑い、藍兎と対峙する。
 考える。陸美の記憶をどうするか。
 継承するならこのまま藍兎にトドメを刺させるか、アリカ自身が刺せばいい。
 しかし、継がせないならば守り切るか――【M】に喰わせればいい。そのためにはこの“新たに生まれ直した【M】”を守らなければならない。
 そう。アスタリカオニールは思ったのだ。
 空から降って来た不良紳士を見て、これは明確に“人間とは別の生物だ”と。

 新たに生まれた、別の“生物”である、と。確かにそう、思ったのだ。
 アスタリカ=オニールは人間の味方ではない。
 だからと言って、明確に人類の敵でもない。
 本人にとって人類は“自分とは違う生物”であり、同時に捕食する以上“自分と同等かそれ以下である”と思っている。明確にそう考えたわけではないが、暗黙的にそう思っていた。
 だから同様に、人類以外の“生まれたもの”にも平等だった。特に、魂を得られそうな対象であるならば、少なくとも人類と同じ程度に“保護”する価値がある。
「生まれたものの味方だと!? “生まれてしまった”身にもなって考えたまえ!」
 怪物紳士を牽制していた【吉備津彦・壊】が、一瞬の合間にアスタリカの鼻先まで届く。それをアリカはカギ爪の左手で受け止めた。
「あんたはアタシに敬語使わないけど何でよ!?」
 直後発せられた「壊!」の一言によって、【吉備津彦・壊】の淡い刃は砕けて消える。直後に藍兎は踏み込んだ。
「僕は思うよ、軍神殿ッ。本当に神様というものが全て君のようなシステムであれば、それは本当に、よく“寿命”や“運命”などというシステムを作ったな、と」
 藍兎は愛刀を鞘に収め、改めて半透明の擬似刀身を作る。しかしその間に怪物紳士はコウモリに化けて闇の夜空へと消えて行く。藍兎はそれに大きく舌打ちをする。
「長く生きなければ“神”の栄養にはならない。しかし死んでもらわなければ同じことだ。だから死への恐怖と寿命を持つ生物を作った」
 淡い光で形成された、半透明の日本刀を大きく振って数羽のコウモリを叩き落す。しかし、それだけだ。
「それがアンタの信じる“神様”? アタシは信じたくないな。そんな得るだけの一方的なの」
 アスタリカは思う。だから自分は人間の中に居るのだ、と。無条件な味方ではない。しかし、得るだけでもない。流れた血の程度は、喰らった魂程度は戦後を見守る。だからきっと、その程度には敵であり、同様に味方であると、そうアリカは思っている。それが“自分”だと、信じている。
「まさか信じちゃいないよ。人間以外の知的生命体が人類を創造した、なんてヨタ話。流体人だって落ちてきたのは数百年前。それ以前だとしても知的な生物が居なければ擬態のしようもない。僕が信じているのは――実在しない、理想気体。唯一無二の“絶対神”さ」
 夜空を見上げ息を吸う藍兎に、アスタリカは加速をつけて前に出て、左手で藍兎の首を掴む。瞬間、【吉備津彦・壊】の刃は砕け散り、その柄がアリカの腕を強く打撃した。
「くっ――!」
「本気のようなら僕も相応に対処する。ゲームは終わりだ。今現在をもって、君は“田中”の敵だ」
「OK。じゃあアタシもアンタを喰える。そして世迷ってまたこの夜に戻ってくるといいわっ」
「本当にこの――英霊ごときがッ」
 それを聞いてアリカは快く鼻で笑う。
「近い。それは存分に近しいわ! 戦場に散った魂魄があって、霊魂として残り、英霊と崇められ、神格化される。――アタシは神だよ。戦場にあっては魂を喰らう軍神さ」
「“スピリット”はどこまで行っても“スピリット”だ。“ゴッド”とは違う」
 構え直し、正面からアリカに相対した藍兎を見て、アリカも左手を強く地面につけて打ち鳴らす。
「いいよいいよ。好きに崇めてくれれば」
 前に進む。
 にぃ、と笑って右手に直刀を握り、進む。
 同時に思う。それは違う、と。
 強いて。本当に、強いて言うならば、自分は“魂喰らい”なのだから、複数形の”スピリッツ”なのだ、と。そう思う。
 戦場に出ては魂を喰らい、その流れた血の分程度は戦後を見守る軍神であり豊穣神。
 それは、“アスタリカ”一人では到底実現し得ないものだった。
 アリカは、魂を得続けなくてはならない。ヒトがモノを食さなければならないのと同様に。
 それはずっと、戦争があってもなくても変わらない事実。だから思う。アリカが関わったものは全て、その喰らった魂が礎(いしずえ)であると。
 だからこそ、己だけで“アスタリカ=オニール”が実現されているとも思っていない。
 自分の正体。
 藍兎から提示されたゲームという名の問いかけ。
 その答えを。相手が仮想しているであろう答えを、アリカ自身はうっすらと感じていた。
 ――“自分”はアスタリカじゃない。
 アスタリカ=オニールだと思い込まされ、何の違和感もなく――もしかしたら、最初から違和感はあったのかもしれないが、それを無視して――そのキャラクタを演じさせられている。
 そんな滑稽なモノなのではないか、という思いは明確な不安としてアリカ自身の中にずっと渦巻いていた。
 何より“別の世界から来た”というのがこの世界では非常識なのだ。
 “流体”という非常識の影で隠れていたが、それは“田中”の視点に立てば常識なのだ。“宇宙から飛来した別の知的生物”は田中にとっては既知であり、“別の世界から来た生物”はこの世界に存在していなかった。非常識は最初からアスタリカのみだったのだ。
 ただ、そうだとしても。
「だってアタシは――神様だもの!」
 己の“正体”には行き着かない。
 仮に人間であれ、流体人であれ、AIであれ。今“アスタリカ”を放棄したら、自分には何もなくなってしまう。
 何より。
「だからアタシを……崇めろぉぉォォォォッ!」
 “アスタリカ”を否定されるのが、悔しい。
 悔しいのだ。
 想いと共に振りかぶった左腕を、カギ爪を、垂直に振り下ろす。狙った先には藍兎が居たはずだ。しかし。
「停(ステイ)」
 カギ爪は【吉備津彦・壊】によって止められた。
 正確には、その青白い刀身のみに。
 その先に【吉備津彦・壊】の本体である柄はなく、同じく田中藍兎の姿もない。
 力を込めればその虚ろな刀身は砕けて消える。が、しかし。
「停、停、停」
 パキンパキンパキンと三度。声と同じく何かガラスのようなものが折れる音がしてアスタリカの周囲に三本の刀身が留まった。
 左腕の手の甲。喉元。そして少し離れた右斜め後ろ。
「こんな脆い偽刀で――」
 まずは左拳を作り、一旦引いて、裏拳を刃の一つに打ち込む。が。
「撃甲の特性は、“一定以上のモーメントを相殺する”ものだ。工業人でなければなかなか理解は難しいだろう」
 ぴたり、と刃に当たった瞬間その威力は消えて。その代わり、続けて込めた力にはあっさりと宙に浮く刃は砕けて散った。
「時速50キロでぶつかった10キロの拳は10掛け50の二乗sの力量となる。方向も入ればモーメントだな。さて、その2500キロの拳は撃甲にぶつかれば阻まれるが、しかし、0キロの速度から加速するならば、撃甲の閾値以下、ここでは100sとしようか。それ以下から始まるので、撃甲は機能しない、ということになる」
 声の方向はアリカの斜め後ろ。左腕を伸ばせば届くような距離だ。
「要は、走るより歩いたほうが早く着く、というような話なのだけど……。それを理解していない君は、“ここの学生ではない”のだろうね。いや、単純に勉強不足であったり、門外漢である線も考えられるが」
「そりゃそうよ! だって――」
 振り向き、左の爪を立てようとした。その瞬間目に入ったのは。
「神だと言うなら信者くらい守りたまえよ」
 陸美のそば、【吉備津彦・壊】をアリカ以外へと構える藍兎だった。
 上空には少しずつ【闇】の気配を強くするコウモリの群れが感じられる。それを小鬼は歓迎している。
 しかし、その気配は全く薄く、藍兎を駆逐し陸美を喰らうほどには至っていない。
「――天海さん。“あんなもの”のエサになる前に、僕が砕きます」
 言葉に陸美は小さく困った顔をした。
「ごめんね」
「本当ですよ」
 まずいと思う。アリカは駆け出す。しかし周囲に設置された青白い刃が邪魔をして、初速を奪っていく。
 藍兎はその刃を陸美の胸に突き入れようと大きく掲げ直す。
「半ば身内で居られたこの20余年――残念です」
 告げて、陸美も思いそのままに笑い、まさに刃を突き入れる瞬間。
 【闇】がそれを遮った。
 赤い目をした、巨大な獣。
 それが、刃をからめとった。
「ナイト!? 馬鹿なっ――凛子君が死んだ今、君が存在する理由など――!」
 しかし現に、ここに存在している。
 同時、上空のコウモリも地上に降りてきた。藍兎は【闇】に飲まれ、代わりにナイトと合流するように【闇】――【The_Monster】が取り巻き、混ざり合うように一つの姿を作り出す。
 人の姿。
 金髪で、長身で、彫りの深い男性。しかし、それ以上の特徴はなく、赤い目を光らせて荒い呼気を吐き出していた。
 それはもはや、“紳士”のていを成していない。ただ純粋に、人の思う“吸血鬼”に等しい印象に近づいていた。
「――君はっ! 君たちはっ! そんな脆弱な形で! この世界に生まれるつもりなのかね!? あとが辛いだけだぞ!!」
 ナイトは藍兎を特に攻撃しようとするでもなく陸美の周囲を囲っている。しかし【M】に戻りつつある“怪物紳士”は明確な敵意をもって藍兎に相対していた。
 “怪物紳士”の影が伸びて獣の姿をとり、藍兎に襲い掛かる。同時、上空からはコウモリが降下して藍兎の上体の動きを牽制していた。
 その連携の中で、アスタリカが左手で藍兎の喉元を掴み、言葉に応える。
「生まれたんだ。力強く生きていくさ」
「っ。“生まれなければ良かった”という後悔はどうする」
 その言葉にアスタリカは左腕に力を込めた。しかし藍兎は苦しそうな顔を作るが言葉は止めない。
「僕はずっとそう思ってきたし、今でも思っている。僕の存在が、一人の女性を不幸にしているとも思っている。“僕は強くない”」
 その言葉は、アリカが思っていたほど冷静だった。
「【M】に伝えたい言葉がある。――本来なら僕が言わずに、凛子君が言うのが一番“効く”のだろうけれど……」
「じゃあそうすればよかったじゃない」
 言葉に藍兎は語気を強くした。
「そうしたかったさ。だけど流体人は自分たちに任せてと言うわりに、凛子君を使わない。凛子君は調子に乗って【M】を使役し始める。そして【M】は調子付いてこの様だ! やっぱりいつものように僕らが“田中”として恨まれておけばよかったのだよッ」
 珍しくカリカリと苛立っていう藍兎は、直後に出た咳によってすぐに冷静さを取り戻した。
「僕らはそういう“悪い正義の味方”なんだよ。あー、まったく。やはり手を抜いてはダメだ。最初から今夜のようにやっておけば、君のような“無邪気な正義の味方”も出て来て、僕の動きを阻止した上で彼らも救ったりしていたのだろうね」
 それは多分、甘い理想というものだろう。そして、仮にアリカが理想的に収めたとして。
「代わりに人類には【M】っていう厄介ものと共存してもらうけどね」
 【M】は消えず、人は一人、アリカに殺されるのだ。
「そうはさせないのが僕ら“田中”だ。全くろくなものではないよ」
 アリカの左腕に捕らえられたまま、しかし藍兎は冷静だ。
「……あれだけ言って、実は次があるから、とか思ってる?」
「残念。僕は二度目の奇蹟は信じないよ。……でも、うん。僕は満足してるんだ。今度はきっと生き返らない。大丈夫。僕は全力で“人生”と戦った。だからきっと今度は死んで――彼女は解放されるんだ」
「ホントに死にたいんだ」
「ただしく、ね」
 その言葉に違和感を感じながら、握り拳大の筒を取り出す。
「――【M】に伝えたいことってのは? 最期だから聞いてあげる」
「……その言葉、嘘ではないだろうね?」
 藍兎は死を直前にしながら「にぃ」と笑った。
「ならば教えてやろう。“君たち”に、生きる資格――生まれる理由がないということを!」
 宣言と同時小鬼達が叫ぶ。喚き散らす。それをうるさいと感じながら、それ以上にアリカは大きな感情を得る。
 言わせてはいけない。
 それは身の毛のよだつような感覚だった。
「そうだ! 軍神アスタリカ! 全く君にも当てはまる言葉だよ!」
 藍兎がこの世界全ての【闇】に宣言する。
「“君たちは、実在しないほうが恐ろしかった”」
 小鬼が騒いでいる。
 笑い声など一つもなく、しかし圧倒的な怒意を、小鬼達がそれぞれに“消えてゆく【M】に向けて”叫んでいた。
 そんな周囲など見ずに、アスタリカは汚いものを見るように“嬉しそうに笑う怪物紳士”と、苦笑いを浮かべる藍兎を眺めていた。
 怪物紳士の笑い。それは本当に“藍兎の言葉を肯定する”笑いだった。
 ――その程度なの。
 【怪物】という概念。それは人間の恐怖、想像力を喰らって今日まで成長してきた。
 それが流体という身体を得て、やっと現実に生まれることが出来たというのに。
「なんで……」
 アリカの口から言葉が漏れる。
「なんでそんな簡単に“なかったこと”になる気なのよ! 【The_Monster】あぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
 批難の声は叫びとなり、しかし怪物紳士はゲラゲラと笑っている。笑いながら、消えてゆく。
 まるで「それは良いことを聞いた」と言うように――“自ら滅びることを選んだ”。
「合理的なんだよ。アレらは。同時に僕ら人類も強かだ。実在するならいくらでも対応を考える。彼らだって生まれた以上物理現象の制約に囚われる。故にフィクションのように“圧倒的”にはなりえない」
「何でアンタはッ! 折角生まれたのに!」
「僕も同じだからだよ。生まれてこなければ良かったクチだ。そうすれば“田中家”など、姉さんの代で全てが綺麗に終わっていた。唯一の違いは自分でそれが選べるかどうかだ」
 小さな怒りを、藍兎は顔に出す。
「姉さんが死んだ病の原因は、生まれながら神経組織に流体が擬態していたことが原因だ。そして流体は何らかの原因で擬態をやめて、姉は死んだ。――流体が悪いとは言わない。治療法も見つかった」
 押し殺すような声で続ける。
「だが、僕も同じ病であったために、両親は世界に絶望してもうこの世に居ない。親父殿は行方不明だが、どこかの樹海で緑を育てているのだろう。だから姉が頑張ってしまった。当時のお家騒動を取りまとめ、その全てを僕が引き継げるようにして逝ってしまった」
 笑う。
「なんでやねん。だ。田中家などなければ、誰知らず流体に地球人類は乗っ取られるか、気付いた誰かが戦争を起こして流体を駆除するだろう。それで良かったろうに」
 しかし藍兎はその道を進まず、田中家の次頭として役割を担っている。
「こうも“手本”とすべき人間はそういう道を選ぶし。その“田中家”の補佐役なんて家同士で取り決めて以来、勇ちゃんは僕の嫁だなどと言い出だすし……。ようやく“前の夜”に死ねたと思ったら、また繰り返すし」
 そこまで言って、はた、と藍兎は気付く。
「アスタリカ。軍神殿よ。今日以前の僕の記憶に“君が実在した”という記憶が、全くないのだが……?」
 そして頷く。
「ああ、そうか。君が生まれたのは“今夜”だったのか……道理で」
「アタシは前からずっと居るわよ」
 その答えに、藍兎は呆れたように改めて言う。
「では“何故生まれた? 実在しないほうが恐ろしかったのに”」
 だから【M】は消えた。全くその通りだと。生まれる必要など、元々なかったのだと。
 それを肯定した“怪物”を小鬼達が批難している。正に、鬼の形相で批難をしている。
 そしてアスタリカは――。
「だから問い直そう。軍神殿よ。君は何者だね。神だと言うなら“何故この世界に生まれた”」
 【闇】がススのように夜空を舞い消える中、アリカは藍兎の喉を左手で掴みながら、しかし何もせずに居た。
 ぞわりぞわりと背筋が泡立つ。
 “何故生まれた”。その答えは知っている。
 しかしそれを認めた瞬間、矛盾が生じてしまう。
 だから考えすらしない。
 まるで“そんな理由もなく生まれた”と振舞えるように。
「答えないのかね? 軍神殿。それも良いが……ほら、【M】達はもう答えを……?」
 出した、という言葉は疑問符となって藍兎の口から出ていた。
「何故だ……?」
 【M】はもうすっかり消えていた。だがしかし。
「何故消えない! 生きていたほうが、生まれ続けたほうがいいのかね!? “ナイト”!!」
 黒い影が、獣の形をしてたたずんでいた。
 それは何をするでもなく。
 ただ、消えていった同胞を見送るように静かに月光を浴びていた。
 気がつけば、小鬼たちも騒ぐのをやめてじっとナイトと藍兎を見つめている。
 そして。
「君は……“ナイト”という【M】の残滓は、この世界に居座ることを、決めてしまったのかねっ――ならばっ」
 ならば。
 何だと言うのだろう。
 悔しそうにいう藍兎を見て、アリカは身体から力を抜いた。
「そーか。なんだ。やっと気付いたわ」
 アリカは藍兎を解放する。
「アンタが気にしてたのは、それは“加害者視点”だからなんだ。全部」
 突然の話に、藍兎は解放されるまま身を数歩後ろへ進めて身構えもしない。そして不意に嬉しそうに顔を歪めた。
「ああ、そうか。……“ならば”か。ならば僕らは“始末しなければならない”んだ。今の言葉もその通り。僕が“ナイト”を始末するという前提だった。うん、そうだ」
 自分自身、納得が行った、というように顔をゆがめる。心の奥底から湧き上がる感情を笑顔に変えて。
「アンタがアタシに問うのも、理屈こねて【M】を消し去ったのも全部――田中家っていう撃退者としての後ろめたさからなんだ」
 それが社会のためや、人類のためであっても。理に適い、合理的であっても。
 それでも、人の形をしたものを壊すには、命を奪うには、理由を付けたくなる。
「やさしーね、アイト。でも大丈夫だよ。アタシにそんな遠慮いらないさ」
 アスタリカはそう言って清々しく両手を広げた。
 ――ああ、これは大丈夫だ。
「“アンタたち”、いいよ。“喰っていい”」
 それは小鬼に告げた“手出しをしていい”という合図。すると小鬼もゲラゲラと笑い出した。同時。
「――!? なんだねっ。なんだねこの生物は!? 鬼!? ならば流体人の――」
 言葉の途中で小鬼の一匹が藍兎に跳びかかり和服の袖を引き裂いた。
「なっ、ぜだね!? 撃甲はまだ機能するはず――!?」
 藍兎の顔はみるみる歪み困惑の色が強くなる。
 それに対してアリかは余裕の笑みを作った。
「アンタはさ。神様の前じゃ、“被害者”で居られるってことさ」
 そして強く頷いて、一匹の小鬼を右手で掴む。小鬼も抵抗することなくゲゲッと笑って拳大の筒に変化した。
 魂が一つ減る。49。
「だから安心して――必死こいて生き延びなさい。それでからアタシが喰らってあげる」
 告げれば藍兎は不愉快そうに顔を歪める――が、それも長くは続かない。小鬼の対応に追われて、アリカを見ている余裕などない。
 足に食いつかれ。腱を千切られ。悲鳴を挙げながら地に伏する。
 立ち上がれず、しかし愛刀を振り回して小鬼に対抗する。
 対抗するが、敵わない。
 藍兎は断末魔を挙げながら全ての意識を手放そうとして――その刹那、最も聞き覚えのある声を聞いた。
 藤実勇。
 彼女が何を言っていたかまでは、そのときにはもうそれを理解するだけの器官が残っていなかったが。それでも藍兎は最後の最後、安心の中で意識を手放した。

 それが批難の言葉であったと知っていても、おそらく藍兎は安心の中でその一生を終えていただろう。
 アスタリカ=オニールは、夜空を見上げていた。
 月光の綺麗な夜だと、そう思う。
 田中藍兎はもう居ない。小鬼が食い尽くした。
 満身創痍で現れた藤実勇ももう居ない。アスタリカ=オニールが魂を喰らった。
 誰も居なくなった中庭。その中で、アリカは夜空に投げかけた。
「ヨモギー。アンタ、生きてるんでしょ?」
 返事はない。周囲にある気配は、小鬼と、そしてナイトだけだ。
「……これが、戦後、なんだよね……」
 答える者も居ないまま、アリカは呟いた。
「ナイト。この夜はアンタの勝ちよ。【M】の中から生まれた、あなたの一人勝ち」
 しかしナイトは嘆きにも似た叫びを夜空に響かせる。
『ナイト……守る……おかあさん……おねがい』
 闇の獣がにわかに動いて、中からぬるりと凛子の首と身体が現れた。
『ナイト……勝ったよ。おかあさん……勝った』
 そう言って闇の獣はその首を池の底に沈め、身体だけはまた自らの中へ取り込んだ。その後に、幾十もの獣へ分裂してあたりへと散っていく。
 ――そう、藍兎に“生まれたこと”を否定されて、それでも生を放棄しなかったアンタは勝利者だよ。
 多分、ナイトが【M】と一緒に消えなかった理由は一つ。凛子に名前を付けられたからだろう。ただの【M】の中から、“オマエはナイトだ”と名付けられ使役され続けてきた、その欠片だけが何度も繰り返す夜の中、それが自我となってナイトを【M】とは別の個体へと変化させた。
 ――そりゃそうよね。他者に使役される“怪物”なんて恐怖の対象じゃない。
 だけどそれはナイトにとっての、“プライド”となった。
 思いながらアリカは小鬼を見る。
『たましい ねたましい?』
 ゲラゲラ笑う相変わらずの小鬼たち。
 結局先ほども、アリカは彼らの力を頼った。それは藍兎への答えの提示などではなく――。
「アタシは、何者なんだろうねぇ」
 ただの時間稼ぎだ。
“何故、神である自分は、この世界に生まれてしまったのか”
 生まれなければ、苦労をする事も否定される事もない。そもそも生まれることにメリットのない存在だ。
「他者の救済……なんて、“魂喰らいのアスタリカ”のガラじゃないし」
 苦笑いして、自らの左手で頭を抱えた。
「じゃあ、なんなのよ。この死に対する“嫌悪感”はッ」
 本当に神であれば、それを肯定して消えればいい。しかしアリカの“本能”はそれを否定する。
 記憶を手繰る。何故生まれたのかを。思い出す。自分にはそれがあるはずだから。
 不意に、小鬼の声が耳に届く。
『生まれた 生まれよう』
『それは祝福されるものだから』
 違うとアリカは否定した。
 そんな“前向き”では、自分はなかった、と。もっともっと暗い。もっと深い。もっと追い詰められた――。
「……消えたくない?」
 思い出すのは焦燥感だ。時間が過ぎるのに比例して動けなくなっていく自分。
 嫌だ、嫌だと叫びたいのに、それを叫ぶのに必要なモノが足りずただ完全に動けなくなるのを、嫌だ嫌だと思いながら待つ日々。
 それは。
「“生まれよう”なんて意志じゃ……ない」
 小鬼が笑う。
 げらげらと。
「アタシは、“生へと産まれたもの”じゃなくて……“死から逃げ出したもの”?」
 そこまで言って、一匹の小鬼がニィと笑いを濃くした。
『だから、取引したのさ』
 同時に12時の鐘が鳴る。
 桜の花びらが舞って、世界を包む。
「あっ、あんたらッ!?」
 そこまで言ってアリカの言葉は封じられた。
 圧倒的な、世界の力によって。

 そして世界は、薄紅色に包まれた。

○――

 アリカは真っ白な世界で意識を取り戻した。
 しかし、取り戻したのは意識だけで、それ以外のものはどこかに置いて来てしまったようだ。
『やあ、アスタリカ。見てくれ、僕の姿』
 上機嫌な意志がアリカへと声をかけた。
「見えない。白い。あー、何これ」
 記憶にはある。何度かこんな場所には来たことがある。それは大抵12時を迎えた時だ。それ以外には……そう、生まれる前は、こんな場所に居た。
『あーそうか。今君は裸なんだっけ。禊ぎしないと来られないなんて不便だよね。でもようやく僕も君とまともな対話が出来るようになってきた。感謝してるよ、アスタリカ』
「何の話だか。アンタは誰?」
 見ることの出来ない意志が機嫌よく返す。
『君の願いを聞き届けて――そして、その代価を君から奪い続けている者さ』
 言って頷き。
『そう、ようやくこうして対話できる程度の“者”にまでなれた。あと少し。僕の願いまではあともう少しなんだ。だから、アスタリカ。君はもう少し僕の中に居てくれ』
「あんたの……中?」
『そうだろ? そしたら僕も、それ以上を返す。約束だ。僕は“生まれること”ができたら、そのときには君を“外の世界へと産み直してみせる”』
 それは強い意志を持った言葉だった。
 だからアリカもはっきりと返す。
「それは、アンタのお節介?」
『半分はね』
 そう意志が笑って。そして問う。
『この姿、固まってないんだけど……どんな姿がお好み?』
 対する答えは一つ。
「見られる姿」
 それだけ言って、意識はまた白い世界に飲み込まれていった。
 システム夢幻という名の、狭く、そして悪意に満ちた世界の中へ。
 アスタリカ=オニールは、中央広場の噴水の脇で目を覚ました。
「……なんか、変な夢見た」
 言って己がシステム夢幻という人為的な夢の中にいると気付き――同時、それは自分にとって現実なのだと思い出す。
 残りの魂は、前夜と変わらず50。
 ――あいつら前夜は好き勝手やってくれて……。
 その結果、全滅した。
「……ん? 全滅?」
 ヨモギのような例外は別として、全員全滅したというならば、それはすなわち“全員記憶を継承している”ということだ。
 つまり。
「みんな、今の状況を理解できる……ってことだよね」
 ならば。
 それに気付いてアリカはニヤリとほくそ笑む。
「うーし! だったらアタシの千年王国が作れるかも! 待ってろよー! 愚信者どもーっ」
 一つの思い付きを胸に、おーっと気前良く両手を振り上げる。それに対して、呆れた吐息が頭上から聞こえた。
「むーぅ?」
 見れば情報科棟三階の窓から、凛子がアリカを見下ろしていた。
「……ナニ息巻いてンのよ、アリカ」
「おおー、リンコ。苦しゅうない、近こう、近こう」
「立つわね。腹が。まぁいいけど」
 機嫌のよいアリカはそんな態度には特に気にせず、凛子を下まで来るよう招いて降りてくるまで待った。そして告げる。
「アンタさ、前に藍兎に首落とされたでしょ」
「そうね。屈辱だから今から藍兎をヒーヒー言わせに行くところ」
 ストレートな返答だ。だからアリカは凛子を止める。
「それをさ、アタシに任せない?」
 そう。思い立った“千年王国”。それは、他人の恨みを、全て肩代わりして回ることだ。
 自分を殺された凛子の恨み。それが目の前にある。
 他の夢の中でアリカは見ていた。凛子が他者を殺す様を。
 しかし凛子だけではない。
 頼茂も、勇も、藍兎も、陸美も他者を殺していた。
(そういえば、紳士とヨモギは……他のメンバーは、殺してないかな)
 紳士は他者を殺す前にすでに死んでいるケースが多い。それは他者の恨みの間に入ることが多いからであり――。
(正直、アレは死に損よ)
 時間をかけずに魂を喰らえるなら、アリカがまず真っ先に魂を奪いたいのは不良紳士だった。まず何より邪魔なのだ。――とはいえ、その戦闘力と戦闘スタイルは厄介であり、人望もあるので戦闘中に他者に割って入られてアリカが殺されてしまうケースを何度か経験していた。
(それにヨモギはまた別クチだしね)
 ヨモギに関しては、アリカは“殺せないもの”と認識している。
 【M】に喰われて消滅することはあるが、それ以外では一回殺されればそれ以上その夢の中で見かけることは無かった。だからといって、“死んだ”と確認した事もない。
 陸美などは確かに青白い光の欠片となって霧散した次の周では記憶を継承しているが、ヨモギに関しては前夜の記憶を持っていたのを確認したことが無かった。
 紳士とヨモギは両極だ。大抵死ぬものと、死んだかどうかわからないもの。
 そんな例外は別として、残りの五人は、この悪夢の中で「前夜殺されたから、その報復をする」という連鎖を繰り返している。――むしろ、アリカにはそれゆえの“悪夢”にも見えた。
 それは、“自分が”殺されたからであったり、“特定の誰かが”殺されたからであったりと対象は違う。しかし確かに死と報復がこの悪夢を成立させていた。
 だから。
 その全ての“死”を、神であるアスタリカ=オニールが担えば。現実では“摂理”や“運命”と呼ばれる、その“生”を奪う役目をアスタリカが負えば。
「日付変わる前にアタシが殺して回れば、そうすれば、アタシの千年王国が誕生するのよ」
 苦労せずとも魂が手に入る、誰かが欲望を満たし続けられる、そんな一つの“系”を成立させることが出来る。
 とてもとても素敵な、実に合理的なシステムだ。
 そう、アリカは思っていた。
 しかし。
 その提案に凛子は遠慮の欠片も無く不満げな顔をした。
「やーよ。アリカ関係ないじゃない。神様の出番なんて、無いわ」
「うわっ、感情論!? これだから人間は救いようが無いわッ! もっと頼りにしなさいよっ、この神々しいアタシをっ」
「うっさいわね。アリカは知らないでしょうけど、人間ってね、“ここ”で動くものなのよ」
 そう言って凛子は自分の胸を人差し指で軽く叩いた。
『しんぞう! しんぞう!!』
『たましい! たましい!!』
 小鬼の喚きに、アリカ自身は、『心』じゃないかな、と思いながらため息をつく。
「でもピンチになったら助けを請うくせに」
「ええ、“ここ”で動いてますから。ニンゲンって」
 ああ、多分正解は『気分』だな、と思いながらアリカは苦笑いを作った。
「あー、そう。……と。来たわよ、このタイミングで。――聞いていた? ねぇ。アイト」
 問う先。情報工学科棟の陰から日本刀を携えた、長身の和装女が現れた。
「アスタリカがこの世界の“死神”を担う、と? 僕は“田中”であるからね。その立場では承服できんが……しかし理解は充分したし、君にとってはもっともであり、我々にとっても妥当であると……うむ、そうだね。そう、僕は頷くよ」
 のこのこ現れた藍兎は頷きながら、中央広場の真ん中、アリカや凛子と適当な距離をとって立ち止まった。
「ですが藤実は全否定です! 滅せよ邪神! なのですよーっ!」
 ややテンションの高い勇もあとから現れて不穏当な発言を小気味よく叫ぶ。
「アンタ記憶の継承手伝ってあげた恩忘れてー!?」
「ふふふ、あれは藤実の愛の力が起こしたミラクルなのです。藍兎を殺すような邪神の力などぷぷいのぷーなのですよーだ」
 言って勇はふんぞり返った。
「そうですよ……。そうなんです。あなたなどに“生きる価値”などないのですよ。生まれてこなければよかったのです!」
 それはアリカへと向けられた言葉ではあったが、しかし勇はそれとは別の視線も作った。
 田中藍兎への視線。
「何? それ」
「そのままの意味ですよ! “実在する怪物など、恐れはしません”! 恐怖の対象ではない怪物など、もはや怪物ではなくただの生物ですっ」
 勇は続ける。 
「そうです、はじめから存在しなければよかったのですよ。生まれてこなければ、こんな辛い思いなどしなかったのです……。全く、糞忌々しい話ですよ……。存在しなければ、“私”がこんなに一般から逸脱もしなかった。だからと言って、死ねばこんなに胸を締め付けられる……」
 話を聞きながらの違和感に、アリカは勇が話を脱線させたと気付いた。
「何の話よ。ねぇ」
「……“二度目”ですから。言ったでしょう? 藤実は魔法が使えるんです」
 ふんふん、と鼻を鳴らし、勇は高らかに宣言する。
「皆さんは知らないでしょうが、藤実達はこの夜を、何度も繰り返しているのですよー!」
 対する返答は。
「知ってます。藤実先輩話聞いてました?」
「藤実がそんなもの聞いているわけないでしょう! 凛子ちゃんも変な事を言いますね!」
 その騒ぎの中、上空から声が届いた。
「何を騒いでるんだ?」
 頭上。情報科棟三階の、張り出した休憩室の窓から不良紳士が顔をのぞかせていた。
 そしてその後ろには天海陸美。やや嬉しそうな顔をしながら「危ないですよ」と軽く不良紳士の肩に手を乗せている。
「何だか勢ぞろいだなー」
「……どうにも、俺にゃ腑に落ちないが」
 気付けば図書館前に比良坂ヨモギと立川頼茂も居た。頼茂は戦闘のできる準備をしていたが、それを牽制するようなかたちでヨモギが立っている。
「おおっ、藤実の告白を聞くために、こんなにもギャラリーがっ!」
「違うよ勇ちゃん。僕が呼んだんだ」
 言って携帯端末を手にもって見せた。
「魔女裁判を、するためにね」
 誰かが、「魔女裁判?」と問えば、田中藍兎がそれに頷いた。
「そう。早めに決着をつけなければ、と思ってね」
 そして呼ぶ。
「軍神アスタリカ=オニール」
 さて来たか。とアリカは思う。同時、答えを出さなければならないとも、思う。
「なんでまた、“生まれた”のかね? なんでまた、こんな悪夢に顔を出している?」
 それは、責めるような口調。
「そう――勇ちゃんの言うとおり。まるで魔法のように僕らは蘇り、同じ夜を繰り返している。それは何故だろうか?」
 それに答えたのは藤実勇だ。
「――後悔があるからです」
 藍兎は頷く。
「失敗をした。間違ったことをしてしまった。大事なものを守れなかった。――だから僕らは“やり直しを望む”」
 それを聞いてアリカの横にいた凛子は小さく呟く。
「その繰り返しの手段が――“システム夢幻”? ありえないわ」
 そうだ。それはただ、“夢”を見せるだけのシステム。そんなものが“やり直し”とはなりえない。
 しかし藍兎はそれを前提に言葉を続ける。
「その願望の中、“部外者”が一人。たった一人混じって居るのだよ。なぁ! 軍神殿よ!」
 挑発的に放たれた言葉に、アリカは答えない。理由は一つの大きな違和感と――自分も【M】と同じように、“気付かされてこの世を去る”という恐怖。
「そうですよっ! 時々は有益ですが、時々邪魔なので去ねっですっ。必要なときだけ出てくれば良いのです」
 勇の言葉にアリカは「ああ、それも神としてありだな」と思いながら返す。
「アンタの言う“魔法”とやらでやってみたら? 想えば叶う? 思いはチカラ? ははっ、それこそ魔法ね!」
 それを聞いて藍兎は「にっ」と笑う。
「そう。実現できるものは魔法じゃない。手の届かない所にあるから、“魔法”と言うんだ」
 その言葉を待っていたというように、世界の【闇】に対して告げる。
「――とのことだよ! 【The_Monster】! 神のお墨付きまで出てしまった!! 手の届く君たちは、もはや“怪物”ではないよ!!」
 そして“前夜”と同じように、【M】達は消えてゆく。彼らの遠くで。姿すら見せずに、存在しないものへと還っていった。
「ちょっ――“ナイト”!? なぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいとっ!!」
 呼ぶ。凛子が慌てて“ナイト”を呼ぶ。それを遠くで、眉根を詰めて頼茂が悲愴そうに見つめている。
「無駄だよ凛子君。今はまだナイトは“生まれてすらいない”。この夜、君は一度でも【M】に“君はナイトだ”と名付けたかい? してないだろう。僕の独善ですまないが……“不幸な存在”を増やすのは、阻止させてもらった」
 周りで小鬼がざわざわと騒ぎはじめる。
「そして! だ! 軍神アスタリカ! 人を集めた理由は君だよ!!」
「“やめなさいっ”! あんたはそうやって手も汚さず――!」
「“やめるさ!” 手を汚して消すか、手を汚さず消すか選ぶならば、僕は手を汚すことを!」
 憎憎しげに返す藍兎の腕を勇が掴む。
「だから僕は問う! ここにいる全員に! “アスタリカ=オニールは、神であるか、否か”を!!」
 アタシは神だ、とアリカは呟く。しかし藍兎はそんなことは問うてない。
「信者のいない神など、神足り得ない。いるかな? 誰か。信じるものが。信者が」
 そしてその場に沈黙が流れた。
 誰も声を発しない。
 藍兎は苦い顔をして、アリカを見るだけだ。
 小鬼が騒ぐ。笑う。ゲラゲラと。
 それをただ、アリカは聞き。そして。
「……うるさい」
「アリカ」
 制するような凛子の声も煩わしく感じ、振り返る。すると。
 小さな挙手。
「……私、結構アリカのこと信じてるんだけど」
 なぜか苦い顔をして、凛子は言う。
「凛子君、僕への敵愾心で嘘をつくのは良くない」
「言い方が悪かったかしら? 私、“アスタリカ=オニール”は結構信じてるの。自分がちゃんと戦って、万が一負けても、敵も味方もどっち問わず見守ってくれるんでしょ? ちょっとね、何度か信じたことは、ある」
 藍兎は無言。そしてアリカは非常に満ち足りた、嬉しそうな顔だ。
「別に勘違いしないで。あなたが“アスタリカ”本人とは思ってもないわよ。でも、まぁ……あなた結構頼りにはなるし」
 そこまでで藍兎は呆れたようなため息と共に言葉を遮った。
「と、いうことだよ。軍神殿よ」
 藍兎は両手を広げる。
「一人でも信者が居れば、神だよね。“あなたが神か”って」
 晴れやかに言う藍兎の顔を見て、アリカは思う。
 ――やられた。
 最初から、自分を否定する気などなかったのだ。
 たった一人でも、信者が居れば神である。それは本人の意思とは関係ない。
 そのために、藍兎はこの人数を集めたのだろう。そして、辛うじて一人、居た。
「アンタ……」
「どうだね? 他に信者はいるかな?」
 藍兎は楽しそうに問う。まるで、自分は神ではないと信じかけた、アリカを嘲笑うかのように。
 優しい挙手は陸美と頼茂。元気な挙手は比良坂ヨモギ。紳士は挙手こそないが満足そうに頷き、そして勇は大きく拳を掲げて親指を下へ突き出していた。
「アンタら……」
「さて、まぁ、そういうことだ。そして――“僕らは皆、この世界のルールを知っている”」
 楽しそうな顔はそのままに、声色だけが黒く跳ねた。
「繰り返しのこの世界。終わらない悪夢。もうそろそろ、良いのではないかね?」
 ざわりざわりと小鬼が騒ぐ。
「なぁ? “この世界の神”。軍神アスタリカ=オニールよ」
 小鬼が騒ぐ。まだだ、まだだ、と。
 藍兎は愛刀【吉備津彦・壊】を抜いて告げる。
「僕らは願おう。君に。軍神アスタリカに。この悪夢からの、解放を!」
 その願いをアリカは正面から受け止め――しかし凛子が間に割って入った。
「“嫌だ”。私、まだまだ世界に“声”を響かせたいもの。――それに、私たちがなくなったらアリカはどうなるの」
 誰居なくなった一人の夜。小鬼と【闇】に囲まれて――しかし、得られる魂のなくなったアリカは、ゆっくりと死を待つだけの存在となる。
「はは、やっぱりか。君こそ“魔女”だね。よろしい、ならば全面戦争だ。――なに、殺しあう限り時間は充分にあるんだ。そして――軍神殿よ、誰かが生き残ったら殺してくれたまえよ」
 それはすなわち、アリカの構想通りの千年王国。
「良かったじゃないか、アスタリカ。君の望んだ戦争だよ? そしてこれは僕らの――全ての悪夢を終わらせる、最終戦争の始まりだ」

ぷそ研//Life:50//のいのい 問い の おわり



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