淡く大地を照らす月光を浴びて、田中藍兎は夜の校舎に寝そべっていた。 窓から差し込む、蒼い光。 それをガラス越しに受けて、目を覚ます。 「……死んで……ない?」 太い下縁眼鏡へ潜り込ませるように顔を右手で覆った。目と、眉間を強く揉むと、冷たさを感じた。 「仕方ないから生きるか、また。――まったく、神が実在するならば文句の一つも言いに行くところだ」 言って、はたと気が付いた。 「おお」 思わず出た感嘆の言葉を自ら聞いて、そしてゆっくりと快い笑みを浮かべる。 「居るじゃないか、“カミサマ”とやらが。しかも半ば死神まがいの軍神殿が」 にっ、と笑って眼鏡を正す。 「聞いてもらうおうか、僕の願いというものを」 言って藍兎は歩き出す。月光に照らされた、ほの暗い闇の道を。 ![]() ○―― この世界は楽だと、アスタリカ=オニールは思っていた。少なくとも、一つ前の繰り返しの夜までは。 しかし。 「軍神殿よ、取引をしよう」 まさか“死なない”ことに不満を示す者が居るとは、アリカは思っていなかった。 場所は情報科棟二階の踊り場。月光の差し込むガラス側に藍兎。通路と階段の間にアリカが立っている。 「僕が死んだならば、ちゃんと君が喰らってくれないだろか。なに、簡単な話だ。僕が世迷わないようにしてくれれば、それだけでいいんだ」 ○―― 「――むかーしに田中の本家で見かけたときはそこらの子供にカンチョー食らわせまくっていたあなたが! 今ではむちむちぼいんぼいんのクールレディ! あなたにっ、あなたに身長百四十五センチ、色素薄くて天然茶髪の藤実みたいのの苦労がわかるのですかっ」 「お姫様みたいで可愛いわよ。……っていうかむちむちって言わないで」 「何よりそのボインのインボーが!! 私はッ! 藤実は! 巨乳帝国に宣戦布告しますッ!!」 「お、落ち着きなさい藤実、それは宣戦布告した時点で負けてるからっ」 ○―― 「アスタリカはどうします? 藤実はこれから、藍兎が【M】を掃討するので、その邪魔になるものを排除しに行こうかと思うのですが」 問われたアリカは外を眺めたまま短く返す。 「遠慮するわ」 「そうですか。藤実と一緒にいるとお得だと思ったのですけどね。何より――アリカは藤実の魔法を知っていますから」 横目で見れば勇は自慢げに口元を歪めている。 「魔法……ねぇ」 「おや? 当の本人は記憶のリセットですか? あの根源を討てたのも、元をただせば藤実のおかげなのです。“やり直したい”と、“藍兎を助けたい”と強く願った、想いのチカラなのですよ」 ふぅん、とだけ言って、アリカは勇を見送った。 一人になったアリカは小鬼を蹴り飛ばしながら呟く。 「んな都合のいい魔法があったら、アタシが使いたいなぁ」 ○―― 中央広場では藍兎が一人で【M】と戦っていた。【M】の形状は獣が五匹。その他、暗闇の奥で何がしかの息遣いが聞こえる。おそらく次から次へと【闇】から生まれ続けているのだろう。 「む? もう少し早ければ僕が助かったな!」 【M】を斬り捨ている藍兎は、しかし息が上がって辛そうだった。 「うははははっ!」 アリカは笑いながらガラス扉を蹴り開けて直刀を抜いた。 右上から殴りつけるように藍兎へ一閃。 しかしそれは愛刀【吉備津彦・壊】に止められる。 「あ、案の定かね君はっ! 不意打ちとは姑息だなっ!」 「だって【M】殺したって腹にたまらないんだもんっねっ」 刃を弾き、間合いを取った藍兎の肩には、小さな仔狐が一匹乗っていた。その仔狐は、辺りに充満する【闇】を一生懸命ぱくついていた。ヨモギだろうか。 「ならば三途川の舟渡しになる気にはなったのかね!?」 問いには舌をんべっと出して。 「やなこった」 さらに。 「んな腐った魂は食べても戻しちゃうかもね、アタシ。――また、この悪夢の中に、ね」 言いながら心の中でこぶしを握る。上手い言い訳が出来た。さすがアタシ。さすが神。と。 その思いが顔に出たのか、藍兎はむっとした様子で言葉返す。 「君は本当に……っ! ならば一つゲームをしよう」 「何でこんなときにっ。自分の命の心配をしなさいっ」 「ふふっ、僕はゲーム脳なんだよ。――ルールは簡単だ。君の正体を、君が言う。僕が納得すれば、君の勝ちだ。命でも魂でもくれてやろう。その後のことも文句は言わない」 ○―― 「神様を自称するならすればいい。僕も否定はしない。しかし、神であれ、なんであれ、地球人類に害を及ぼすだけならば、僕らは君に対して武力をもって対応させてもらう! ゆえに、君の命をかけたゲームだ、僕の軽い命も賭けようじゃないか!」 言った藍兎の耳元で、仔狐が不機嫌そうに鳴いた。これは間違いなくヨモギだな、とアリカは確信する。だから。 「ヨモギっ! お稲荷さん三つで裏切らない?」 ○―― 「……アイトってさぁ、持病とか持ってるの? 軽い命とか言ってたし」 ん〜? とヨモギはふらふらとアタマを揺らし。 「ああ、不治の病で“ゲームオタク”を発症してる。いやー、俺も伝染されちゃってなぁ」 「聞いてないよ」 「うへへー、俺今すげー濃度低いから、ろくなこと言わんぜー? 本人に聞きなー」 ○―― 明日 誰か 鬼 要るむらんと 欲するも 血が咲き乱れぬ 発つや 今宵は ○―― 「あ、思い出した。噪研の特別研究員だ。ネームプレートに書いてあった」 「そう。現在はわけあって市の研究所に出向しているんだが……彼の研究が、いわゆる人工知能の研究でね」 「ワケ言ってやれよー。妹が病気でその入院費稼いでるんだとさー。すげー。涙出るー」 「ヨモギが言うとうそ臭いわ」 「彼の研究するAIは、まぁ、簡単に言えば、システム夢幻を利用した“夢の中で誰かを演じるシステム”を研究していたわけだ」 明確な“不安”。それが今、アリカの胸の中で渦巻いている。 「目的は歴史上の人物の行動再現や、事件現場の再現などだそうだ。僕個人としては、是非ロールプレイングゲームに実装してもらいたいと思って、実用化をドキドキワクワクしながら待っているわけだが」 不意に池の中のヨモギも立ち上がり。 「俺もー。茅ヶ崎先輩超期待〜。愛してる〜」 沈めなおした。 「ただ、そうだとすると、だね。新たな疑問が生まれてくるわけだ」 問いに、思う。 “この悪夢から目を覚ましたときに、自分はアスタリカでいられるのか”。 「茅ヶ崎先輩のシステムを利用しているならば。誰かの見る夢だというのなら、君は、何者なんだろうかね」 “アスタリカ”という夢を見ている人物が何者なのか。何故、こんな悪夢の中に入ってきてしまったのか。 何故こうも――この悪夢から覚めたいと思わないのか。 ○―― 「ヨモ。だから僕は“流体人”が嫌いなんだ。命の意味を、理解していないッ」 ヨモギは視線を外し、「こういう責任の取り方しかできないんだ」と苦い顔をする。 何の話か、と考えて、アリカも一つの可能性に辿り着いた。再度金髪と黒髪を見る。 「ああ、そうだ。君も……いや“魂喰らい”ならば最も理解できるだろうアスタリカ! あそこに見えるモノのほとんどは、“紳士に擬態した流体”だ!」 死んでしまう、と。助からないと知って。彼の“死体”を使って、再度“機能”するように“流体”で補強した。もし、そうだとするならば。 「……アタシが殺しても……魂はもう、喰らえないんだろうね」 アリカはそう寂しそうに呟く。 それは果たして、“不良紳士”と言えるのだろうか。 ○―― 「ですからね、あれはきっと“この世界に捨てられた”、かわいそうな子だと思うのですよ」 ○―― 「ごめんなさい。ごめんね。ごめん……」 陸美の、小さな懺悔だ。 高く声を上げることはない。深く、深く、涙を溜めながら悔いているだけだった。だからアリカは小さく囁く。 「大丈夫だよ。間違えただけだから。大丈夫」 右手で優しく頭を撫でてやれば、陸美は力なくすがるように左腕に触れる。 例えば生まれてくる場所を間違えたもの。例えば正しくはない心。例えば他と違うもの。それらを否定する心を、アリカは持っていなかった。 小鬼が笑う。 『生まれよう』『産声を上げよう』『それはきっと祝福されるものだから』 間違っていようが。恨まれようが。憎まれようが。 『全力で』 生き残ろう。 それは「正解」だと、アリカは思っている。他者の魂を喰らうアスタリカは、だからこそ「生まれたもの」と「生き残ろうとするもの」を否定しない。否定するのはアリカ自身が生き残ろうとする、その「正解」のためのみだ。 ○―― 藍兎から提示されたゲームという名の問いかけ。 その答えを。相手が仮想しているであろう答えを、アリカ自身はうっすらと感じていた。 ――“自分”はアスタリカじゃない。 アスタリカ=オニールだと思い込まされ、何の違和感もなく――もしかしたら、最初から違和感はあったのかもしれないが、それを無視して――そのキャラクタを演じさせられている。 そんな滑稽なモノなのではないか、という思いは明確な不安としてアリカ自身の中にずっと渦巻いていた。 何より“別の世界から来た”というのがこの世界では非常識なのだ。 “流体”という非常識の影で隠れていたが、それは“田中”の視点に立てば常識なのだ。“宇宙から飛来した別の知的生物”は田中にとっては既知であり、“別の世界から来た生物”はこの世界に存在していなかった。非常識は最初からアスタリカのみだったのだ。 ただ、そうだとしても。 「だってアタシは――神様だもの!」 己の“正体”には行き着かない。 仮に人間であれ、流体人であれ、AIであれ。今“アスタリカ”を放棄したら、自分には何もなくなってしまう。 何より。 「だからアタシを……崇めろぉぉォォォォッ!」 “アスタリカ”を否定されるのが、悔しい。 悔しいのだ。 ○―― 「ならば教えてやろう。“君たち”に、生きる資格――生まれる理由がないということを!」 宣言と同時小鬼達が叫ぶ。喚き散らす。それをうるさいと感じながら、それ以上にアリカは大きな感情を得る。 言わせてはいけない。 それは身の毛のよだつような感覚だった。 「そうだ! 軍神アスタリカ! 全く君にも当てはまる言葉だよ!」 藍兎がこの世界全ての【闇】に宣言する。 「“君たちは、実在しないほうが恐ろしかった”」 ○―― 「だから問い直そう。軍神殿よ。君は何者だね。神だと言うなら“何故この世界に生まれた”」 ○―― 『ナイト……勝ったよ。おかあさん……勝った』 そう言って闇の獣はその首を池の底に沈め、身体だけはまた自らの中へ取り込んだ。その後に、幾十もの獣へ分裂してあたりへと散っていく。 『たましい ねたましい?』 ゲラゲラ笑う相変わらずの小鬼たち。 「アタシは、何者なんだろうねぇ」 ○―― 思い出すのは焦燥感だ。時間が過ぎるのに比例して動けなくなっていく自分。 嫌だ、嫌だと叫びたいのに、それを叫ぶのに必要なモノが足りずただ完全に動けなくなるのを、嫌だ嫌だと思いながら待つ日々。 それは。 「“生まれよう”なんて意志じゃ……ない」 小鬼が笑う。 げらげらと。 「アタシは、“生へと産まれたもの”じゃなくて……“死から逃げ出したもの”?」 そこまで言って、一匹の小鬼がニィと笑いを濃くした。 『だから、取引したのさ』 同時に12時の鐘が鳴る。 ○―― アリカは真っ白な世界で意識を取り戻した。 しかし、取り戻したのは意識だけで、それ以外のものはどこかに置いて来てしまったようだ。 「アンタは誰?」 見ることの出来ない意志が機嫌よく返す。 『君の願いを聞き届けて――そして、その代価を君から奪い続けている者さ』 言って頷き。 『そう、ようやくこうして対話できる程度の“者”にまでなれた。あと少し。僕の願いまではあともう少しなんだ』 意志が笑って。そして問う。 『この姿、固まってないんだけど……どんな姿がお好み?』 対する答えは一つ。 「見られる姿」 ○―― 「うーし! だったらアタシの千年王国が作れるかも! 待ってろよー! 愚信者どもーっ」 「……ナニ息巻いてンのよ、アリカ」 「おおー、リンコ。苦しゅうない、近こう、近こう」 「立つわね。腹が。まぁいいけど」 ○―― その全ての“死”を、神であるアスタリカ=オニールが担えば。現実では“摂理”や“運命”と呼ばれる、その“生”を奪う役目をアスタリカが負えば。 「日付変わる前にアタシが殺して回れば、そうすれば、アタシの千年王国が誕生するのよ」 苦労せずとも魂が手に入る、誰かが欲望を満たし続けられる、そんな一つの“系”を成立させることが出来る。 とてもとても素敵な、実に合理的なシステムだ。 そう、アリカは思っていた。 しかし。 その提案に凛子は遠慮の欠片も無く不満げな顔をした。 「やーよ。アリカ関係ないじゃない。神様の出番なんて、無いわ」 「うわっ、感情論!? これだから人間は救いようが無いわッ! もっと頼りにしなさいよっ、この神々しいアタシをっ」 「うっさいわね。アリカは知らないでしょうけど、人間ってね、“ここ”で動くものなのよ」 そう言って凛子は自分の胸を人差し指で軽く叩いた。 『しんぞう! しんぞう!!』 『たましい! たましい!!』 小鬼の喚きに、アリカ自身は、『心』じゃないかな、と思いながらため息をつく。 「でもピンチになったら助けを請うくせに」 「ええ、“ここ”で動いてますから。ニンゲンって」 ああ、多分正解は『気分』だな、と思いながらアリカは苦笑いを作った。 ○―― 騒ぎの中、上空から声が届いた。 「何を騒いでるんだ?」 頭上。情報科棟三階の、張り出した休憩室の窓から不良紳士が顔をのぞかせていた。 そしてその後ろには天海陸美。やや嬉しそうな顔をしながら「危ないですよ」と軽く不良紳士の肩に手を乗せている。 「何だか勢ぞろいだなー」 「……どうにも、俺にゃ腑に落ちないが」 気付けば図書館前に比良坂ヨモギと立川頼茂も居た。頼茂は戦闘のできる準備をしていたが、それを牽制するようなかたちでヨモギが立っている。 「おおっ、藤実の告白を聞くために、こんなにもギャラリーがっ!」 「違うよ勇ちゃん。僕が呼んだんだ」 言って携帯端末を手にもって見せた。 「魔女裁判を、するためにね」 ○―― 藍兎は頷く。 「失敗をした。間違ったことをしてしまった。大事なものを守れなかった。――だから僕らは“やり直しを望む”」 言葉を続ける。 「その願望の中、“部外者”が一人。たった一人混じって居るのだよ。なぁ! 軍神殿よ!」 ○―― 「だから僕は問う! ここにいる全員に! “アスタリカ=オニールは、神であるか、否か”を!!」 アタシは神だ、とアリカは呟く。しかし藍兎はそんなことは問うてない。 「信者のいない神など、神足り得ない。いるかな? 誰か。信じるものが。信者が!」 ○―― 小さな挙手。 「……私、結構アリカのこと信じてるんだけど」 なぜか苦い顔をして、凛子は言う。 「凛子君、僕への敵愾心で嘘をつくのは良くない」 ○―― 「言い方が悪かったかしら? 私、“アスタリカ=オニール”は結構信じてるの。自分がちゃんと戦って、万が一負けても、敵も味方もどっち問わず見守ってくれるんでしょ? ちょっとね、何度か信じたことは、ある」 藍兎は無言。そしてアリカは非常に満ち足りた、嬉しそうな顔だ。 「別に勘違いしないで。あなたが“アスタリカ”本人とは思ってもないわよ。でも、まぁ……あなた結構頼りにはなるし」 そこまでで藍兎は呆れたようなため息と共に言葉を遮った。 ○―― 「と、いうことだよ。軍神殿よ」 藍兎は両手を広げる。 「一人でも信者が居れば、神だよね。“あなたが神か”って」 晴れやかに言う藍兎の顔を見て、アリカは思う。 ――やられた。 最初から、自分を否定する気などなかったのだ。 たった一人でも、信者が居れば神である。それは本人の意思とは関係ない。 そのために、藍兎はこの人数を集めたのだろう。そして、辛うじて一人、居た。 「アンタ……」 「どうだね? 他に信者はいるかな?」 藍兎は楽しそうに問う。まるで、自分は神ではないと信じかけた、アリカを嘲笑うかのように。 ○―― 「さて、まぁ、そういうことだ。そして――“僕らは皆、この世界のルールを知っている”」 楽しそうな顔はそのままに、声色だけが黒く跳ねた。 「繰り返しのこの世界。終わらない悪夢。もうそろそろ、良いのではないかね?」 ざわりざわりと小鬼が騒ぐ。 「なぁ? “この世界の神”。軍神アスタリカ=オニールよ」 小鬼が騒ぐ。まだだ、まだだ、と。 藍兎は愛刀【吉備津彦・壊】を抜いて告げる。 「僕らは願おう。君に。軍神アスタリカに。この悪夢からの、解放を!」 その願いをアリカは正面から受け止め――しかし凛子が間に割って入った。 「“嫌だ”。私、まだまだ世界に“声”を響かせたいもの。――それに、私たちがなくなったらアリカはどうなるの」 誰居なくなった一人の夜。小鬼と【闇】に囲まれて――しかし、得られる魂のなくなったアリカは、ゆっくりと死を待つだけの存在となる。 「はは、やっぱりか。君こそ“魔女”だね。よろしい、ならば全面戦争だ。――なに、殺しあう限り時間は充分にあるんだ。そして――軍神殿よ、誰かが生き残ったら殺してくれたまえよ」 それはすなわち、アリカの構想通りの千年王国。 「良かったじゃないか、アスタリカ。君の望んだ戦争だよ? そしてこれは僕らの――全ての悪夢を終わらせる、最終戦争の始まりだ」 やぼーのホームページへ戻る |