ぷそ研//のいのい


 そうだ。

 だから――。

 僕らは二度とあんな悪夢を見ないように。

 いつか見た素敵な夢の世界へ近づくために。

 僕らは“ここ”で生きるのだ。

 足掻くでも、焦るでもない。

 その日を一日、確かに死なずに生きられれば。

 そうだ。

 その日の終わりには、夢の続きが待っているのだ。





 夜の闇に宣言する声が響いた。
「繰り返しのこの世界。終わらない悪夢。もうそろそろ、良いのではないかね?」
 一つの問いかけ。そして。
「僕らは願おう。君に。軍神アスタリカに。この悪夢からの、解放を!」
 一つの図々しい願い。
「全面戦争だ。アスタリカ。――全ての悪夢を終わらせる、最終戦争の始まりだ」
 高らかに言い放った言葉は、夜の校舎に囲まれた中庭に響いて消えた。
 宣戦布告。
 放ったのは田中藍兎。
 聞いていたのは、この悪夢に取り込まれた全ての人間。
 そして、一つの神。
 宣言を境に言葉は途切れ、各自の表情はまちまちに別れる。困惑する者、反論を上げたそうにしている者、何かをこらえるような顔の者も居れば、全くの静観を決めたような者もいる。
 その中で、ぴょっこりと小さな手が挙がった。
 藤実勇。
 重苦しい雰囲気の中、勇は藍兎の側らから少し離れ、そして胸を張った。
「さて、では質疑応答がないようであれば、戦争する、ということで、藤実の重大発表に移ってもよいでしょうか?」
 学会や会議の進行のようにサバサバとその議題を切り上げた。そして、返答も聞かないままに勇は宣言する。
「藤実は! 藍兎と、結婚します!!」
 そうはっきりと宣言した。
 が、周囲に反応はない。数秒間が空いて、凛子が問う。
「は? “もう一回言って”」
「もちろん何度でも。藤実は藍兎と結婚します。祝福をヨロシクですよ」
 空間全体に疑問符が飛び交い、視線は勇ではなく藍兎へと集中した。その藍兎と言えば。
「……? 何かね?」
 レンガ張りのその場にしゃがみ込んで耳を塞いでいた。そして。
「あ、軍神殿。さっきの宣言キャンセルキャンセル。僕いいや、生き残る。例え辛い今日だとしても、明日になればもうすっぽり忘れて過去の記憶だよね。僕、頑張る」
「……あ、ええ、まぁいいけど……。さっきのユーキの言葉、聞いてた?」
「なんのことかね、さっぱり聞こえてないよ。ホントホント」
 ああそう。とアリカも疑問符を頭の上に乗せたまま小首をかしげて承諾した。
 しかし、納得しないのは勇だ。
「案の定ですね若! この上ない真正面カミングアウトなのにそのチキンっぷり! 折角“敵”の少ないこの現場で言ったというのに!」
 しかし藍兎は両耳に当てた手を小刻みに震わせて、さらに「あわわわわわ」と声を発する。子どもの頃に良く使う“聞こえません”のポーズだ。
「いいですか藍兎! 現実でこんなこと言えばどれだけの“敵”と戦うと思っていますか! ですが今や相手はせいぜい六人! 例え世界全てが敵に回ろうと六人くらいなら勝てます!」
「勝ち負けかなぁ……ちなみにアタシとしては人間に増えて欲しいからどっかから子種は確保してくれる前提で祝福するわ。神様の祝福。しかも地母神の。すごいね、アタシ」
 そうアリカが調子乗って答えると、勇はあからさまにイヤな顔をした。
「理屈は田中の眷属と全く同じですね。“娘”ばかりしか産まぬと、病持ちの欠陥品しか生まぬと藍兎の母を否定し続けたあの親族と。至って全くに反吐が出ます」
「祝福するってのに何で噛み付くかなぁ、この子は」
 当の藍兎は未だに耳を塞いだままだ。周りではヨモギが祝福しているようだが、その近くの頼茂が何故か脱力して横になっていた。そして。
「…………」
 それを見た凛子が明らかに不機嫌な顔をしている。
 情報科棟の紳士と陸美の二人は何やら話し込んでいた。おそらく事情を知る陸美が説明をしているのだろう。
「まぁ、そうです。藍兎以外の可能性も模索した時期がありました。すっかり忘れていましたが世話人もその実験台の一つでしたね」
 言葉に凛子が大きく息を吸い、しかしそこで留まる。奥歯を噛んで出そうになった言葉を殺した。
「藤実にとっても、私にとっても、藍兎が一番なのですよ。もし藍兎が死んでしまったら、深い悲しみの後、男と付き合うかもしれません。ですが――」
「だから僕、身体弱いからすぐ死ぬ確率超高いって言ってるのに……」
「しゃらくさいですよ藍兎! 思いっきり死に損なっているのですから腹をくくるのです!」
 叱るような口調で言えば、藍兎は拗ねてそっぽを向いた。
 勇はため息一つ。
「まぁ、仕方ないですよね。藍兎は基本的にダメな人間なのですから。――その藍兎が、こうして活躍できる場。この夢、藤実にとっては正にパラダイスですよ」
 言う勇の雰囲気に少しの変化が起こる。勢いだけではない、それとは正反対の雰囲気。
「藤実は。私は。こうして告白しました。例え夢の中であろうが、“事実”からは逃げられません」
 そして、動く。
「先ほどの“宣戦布告”への返事をしましょう」
 動きは小さい。小さく、最も無駄のない動きで、勇はアスタリカの背後へとまわった。
「神頼みなどで解放されては、どのみち夢から覚めればまた同じ悪夢を見ることになるのです。――今度こそやり直しの効かない、悪夢を」
 言葉と同時の爆音。勇の撃甲による、打撃と同時の爆発だ。
 不意を突かれたアスタリカはまず間合いを取ろうと左腕を伸ばす。掴んだのは情報科棟脇の植え込み。それを手掛かりとして身体を引き寄せようとする。しかし。
「ここはね、ゴミ捨て場ではないんですよ。アスタリカの”失敗作”。――ここは夢の国なんです」
 左腕に絡みつく小さな身体。ともすれば、身長と同じ程度の長さの左腕を、勇は身体全体で固定し、捻った。
「っぐ!」
 アスタリカは唸る。肩と関節が抜けそうになり、反射で身体を地面へと近づける。直後、長い腕を足場にして、アリカの顔面へと向かう影が見えた。
「だから消えてください。捨てられたヒトガタの――」
 そこまででアスタリカは頭を吹き飛ばされて魂をまた減らした。
 アスタリカ=オニールは不快の中で目を覚ました。
 残りの魂は40。
 恐怖と危機感を得ながら、レンガ敷きの道から身体を起こす。
 しかし。
「くたばるのです! アスタリカ!!」
 その夜は開始早々藤実勇にエンカウントし、不意をつかれてまた死んだ。
 また次の夜に目覚める。
 恐怖がある。危機感がある。それは、魂が減っているからだけではない。
 藤実勇は、この悪夢のルールとアリカの魂のルールを知った上で、“軍神アスタリカを殺し”にかかっている。
 危険だと思う。恐ろしいと思う。
 故に、この夜はまず最初に勇を探した。そして見つけ、真正面から立ち回り、なんとか殺して、現在残りの魂は31。
「な、なんなのよ……あの子は……」
 しかしこの夜も勇はアリカを殺そうとしていた。怒涛の様な戦闘を終わらせて、アリカは時計を見る。時刻は8:30を過ぎたところ。
 一つの安心と共に、次の脅威までの時間を計算する。
「三時間半……どー対策すればいーのよ」
 藤実勇は死んだ。アリカが殺して魂を喰らった。しかし、それはすなわち「次の夜も勇は同じ基準で行動する」ということだ。
 対策としては二つ。
 一つ、0時まで生き残らせて記憶をリセットさせる。
 一つ、軍神アスタリカは敵ではないと認識させる。
 記憶リセットについては着地点が明確である分筋道を立てやすいが、しかし実行が難しい。おそらく勇は0時を迎えそうになれば誰かに自分を殺すように仕向けるだろう。
 もう一つの案の、自分を敵ではないと認識させることについては、漠然とはしているが根本解決になる。仮に“二度目”があった場合、同様の方法が取れるからだ。
 しかし。
「……あー、どーしよ」
 どちらにしても、難しい。
 とりあえず、この夜は根本解決を考えて、何も浮かばず次の夜が来てしまったら、どうにか頑張って勇を生き残らせる。仮に、それが無理なら、勇を殺して、なんとか生き延びて、そして次の夜に頑張るしかない。
「うわー、なんだこれ。とどのつまり“頑張る”って、どーなんだろーかなー、神様としては」
 ダメだろうなぁ、と思う。
 それはそれとして生き延びなければならない。
『いきる?』
『いききる?』
 小鬼が騒ぐでもなく小首を傾げるので、一匹つまんで遠くへ放り投げた。
「……ん、そうね。生き切るには根本解決よね。あー、三時間半かー。まずは聞き込みかなぁ」
「何の聞き込みかね。楽しげな話なら僕も協力するよ?」
 現れたのは――たまたま現れたのか、機会をうかがっていたかは不明だが――田中藍兎が少し先の垣根の先にいた。
 改めて場所を確認すれば、機械科棟と情報工学科棟の間のレンガ道。図書館とも中央広場へも続く道の上に、アリカはいる。
 そして、広場側から現れた田中藍兎は何も知らないそぶりでアリカに語りかけている。
「ユーキがあんたらの悪夢から覚めたがらないって話。って言って通じる?」
「知るものかね」
 その一言で藍兎は斬って捨てた。
「あーそう。じゃあ……ユーキがアンタのこと好き……じゃないな、愛してる、って話は?」
「まぁ、僕にしてみれば生まれたときからの付き合いだからね。そういう愛は……まぁ、僕も持っているよ」
 おや、と、アリカは思う。逃げずに答えたな、と。
 そう思い、しかし。
「……その答え、ユーキに言える?」
「質問の意味がわからんね」
 問えば藍兎はとぼけて答えない。
「僕はさ、生まれたときから勇ちゃんがいたんだ。歳の離れた実の姉とは別の、非常に近い、姉。規範とすべき、理想の人だ」
 言って笑う。
「そうなんだ。身内は――身内を規範とするとダメなんだよ。ウチの家は。母は現実逃避の末、現実からいなくなり。父はそれが原因で樹海で一生のその先まで緑を育てる仕事に就き、姉はそんな家が頭目の“田中家”という組織――地球人類とは違う生命体から、暴力によって“市民”を守る、その組織を立て直して、そしてそれだけやって逝ってしまった」
 藍兎はそこまで言って、困った顔をした。
「そんな中で、“田中”ではない、しかし“姉”である人を、敬愛してしまっても、仕方ないだろう?」
 それについては、アリカも頷いた。しかし。
「じゃあ、なんでそれに応える気がないのさ」
 応えられても同性では子供が増えない。子が生まれなければ、アリカにとっての食い扶持の絶対数が減る。それは、長い目で見た場合にはアリカも賛成しないが、しかし“生まれた感情”に対しては否定しない。
 目に見えなくとも。実在しなくとも。しかし“生まれた”ものを殺すのは、アリカには賛成できなかった。
 少なくとも食べなくては、殺す理由にならない。
「それはまぁ……だってさ、僕だよ? 応えてみなよ。絶対相手は不幸になるだろうに。そんなもの、賛成できるものかね」
 それを聞いて、アリカは違和感を感じた。
 何かが、その理屈の中に足りない。
 そう思う。しかし、それが何かはわからない。
 それはそれとして。
「大体状況は把握した。――そのアンタの嫁、アタシを殺しにかかってるんだけど、どーにかしてくんない?」
「僕が旦那側かね。しかしまぁ……そうだね」
 言って藍兎は踏み込む。
 同時、彼女は愛刀【吉備津彦・壊】へと手を伸ばし――しかし前へ踏み込んだアリカの左手によってその束尻を押さえ込まれる。
「なんだね、僕が殺そうというのに抗うかね」
「大ッ体パターンは読めてきたけど、なんでそーいう思考かなぁ! アンタはッ」
 肩を落として藍兎は答える。
「ゲーム脳だからね。トンチやパズルは大好きさ。解決するだろう? 勇クンが君を狙っているというプロブレムは」
「ええそうねっ、おかけで根本的な問題の一つを思い出したわッ!」
 藍兎のとる手段は、あくまで“人間”主体だ。それ以外の生物に関わる被害や損害には躊躇しない。
 それは、軍神アスタリカに対しても同じであった。
「僕は――いや、田中家は“一人ぼっちの戦争”を好む。僕らの戦争に、なるべく市民は巻き込みたくないんだ。故に、勇ちゃんの手など借りるものかね」
 失敗したとアリカは思う。藍兎にとって、自分より勇のほうが大切なのは明白だった。
 しかし、思う。
(とは言え、アイトとユーキ、この夢に対する立場は真逆なのよね)
 この悪夢からの解放を「もういいだろう」と言って望む藍兎。
 対し、「まだ同じ過ちを繰り返す」と言ってそれを望まない勇。
(平行線……ではないのよね)
 対極にあるだけで、着地点が全く同じなのは、アリカにもわかっていた。
 故に。
「なら、“あなたたち”との全面戦争ね。――無条件に、出会ったならあんたたちは殺させてもらうわ」
 答えが必要だ、と。
 何故、藍兎は解放を望み。
 何故、勇は解放を望まないか。
『あくむ!』
『にくむ!』
『ないとめあー!!』
「悪夢、か」
 藍兎の剣圧を左腕で薙ぐ。しかし藍兎は薙ぎ流された刀を砕き、鞘へ納める動きで鞘の尻をアリカの眼前へと突き込んだ。
「ぐあ――った」
 それを額に受けてアリカは怯む。が、対したダメージではない。
 考える。
 何故か。
 何故、藍兎は悪夢を望まず。
 何故、勇は悪夢を望むか。
 それはおそらく。
「アイト! アンタは怖くない!? この悪夢から覚めるのが!」
「自分の話かね!? 軍神殿よ! 僕は確かに怖いと思うが、しかし乗り越えられると信じているよ!」
 “怖い”。確かにそれを、アリカは聞いた。
 引き抜かれた【吉備津彦・壊】の刀身へ、アリカは直刀を突き入れて割り折った。それによって撃甲による偽刀は前腕より少し長い程度の長さで確定する。
「だったらなんで――」
 それを勇に信じさせないのか。
 それ以前に、“何故、目覚めるのが怖いのか”。
 その問いが存在する。
 アリカは目覚めるのが怖い。
 それは、自分が存在できなくなる可能性があるからだ。
 しかし、藍兎や勇にとって。さらに言えば、この悪夢の中にいるアリカ以外の全員は。
「だったらなんで、現実から――“明日”から逃げるの!」
 言った直後だ。黒い気配と、盛大な羽根音がアリカの耳に入った。
 左。アリカにとって左からそれは来る。図書館の向こう、レンガ道の続く先から、その黒い気配は濁流のように迫ってくる。
「っ――!?」
 押し流される。
 それは【M】と天海陸美の一部であるカラスとの混合体だった。
「ちっ――夢と知っても……腹立たしいっ」
 人外に身をゆだねるのに不快感を示しているのかと、藍兎の言葉をよく聞けば、
「だから僕の協力が必要ならちゃんと言って下さいと前々から言ってるでしょうにっ」
 と、末端であるカラスの一部に対し、プリプリと怒っていたので、そういうものかとアリカも闇に流される。
 何より。
「……アタシは眼中にない、のかアンタの指示なのか、ねぇ」
 闇が通り過ぎ、藍兎も流された。残ったのはアリカと、そして。
「頼茂に……銃を向けられちゃった」
 苦く笑う館林凛子だ。
 アリカの足元にあるカラスの頭が「ごめんね。注意の仕方、間違えちゃった。お願い、ね」と悲痛げに言うが、それもすぐに闇に喰われた。
「天海陸美も……不良紳士も……みんなバケモノで……バケモノに食べられて、取って代わられちゃったんだわ」
 凛子はぐっと我慢して。泣きそうな顔になるのを、苦い笑みに変えてアリカに問う。
「……ねぇ、アンタも私を殺そうとするの?」
 ゆっくりと泣きそうな顔に変わる凛子に、アリカは肩を落として答えた。
「当たり前じゃない。アタシを誰だと思ってるの?」
 軍神アスタリカ。魂を喰らう、地母神だ。
 それを聞いて凛子は笑った。
「良かった……アンタはいつもどおりだ」
 言って笑ったはずの凛子の顔から涙がこぼれ――グシグシ泣き始めた。
 さて、まぁ、と思う。
 どうしたものか、と思う。
 しかし。
「ええ、アタシは神様だもの。変わらないわよ」
 藍兎と、そして勇はどうすればよいか。それに気付く。
 気付かせればいいのだと。
 たった一つ。
 自分たちは神様ではない。
 神様ではないから――。
 アスタリカ=オニールは館林凛子を殺した。
「一度死んで、生まれ変わったら? こんなのただの悪夢なんだから」
 よほど弱っていたのか、凛子は素直に殺されたが、しかし。
「悪夢の中じゃなきゃ、アンタ、存在しないじゃない」
 だから、“ただの”などと言うなとだけ言って、彼女は死んだ。次の夜はコレをネタに凛子に恩を売ろうと思う。
 それはそれとして、残りの魂は32。それを多いとは思わない。
 夜の世界を歩けば、カラスが大勢闇に食われている。
「……無様よね……」
 一羽のカラスがアリカに言う。
「あんたにあげられる程度の魂も……多分もうないわ」
「構わないわよ。今度またもらうから」
 カラスは闇に呑まれながら言う。
「奥の森で田中が戦ってるの。……おこがましいとは思うけど、助けてあげて」
 そこで全て喰われて消えた。
「おこがましい、か。心がけはいいけど、さて、まぁ……どうしたものかなぁ」
 ごろり、ごろりと長い腕を鳴らしてアリカは進む。
「到着かね、軍神殿よ」
 月光の下、“死神”様の【M】と対峙する藍兎がいる。その姿は満身創痍で、そしてアリカを見ようともしない。
「正直僕は、【M】を脅威と感じない」
 だけどね、と藍兎は日本刀の切っ先を定めた。
「それでも流体人達の段取りが悪過ぎる。だから“田中”が動く前に僕が君を冥府に送り返そう」
 そして息を吸い。
「君達【M】には、生きる資格が無い」
 言ったその言葉に、アスタリカは前に出た。それに藍兎も気付く。
「アリカ君。怪物退治は君の領分でもあるか?」
 そしてアリカは藍兎を追い抜き――振り返った。
「……問おうか。何の真似だね」
「――真似じゃなくて」
 頷く。
「ここが、“冥府”だから。この子達の居場所は――否定されて、追われて、滅ぼされたこの子達は……アタシと同じだから」
 田中藍兎と。人外達と――善悪は別として――戦い、滅ぼすことを運命付けられた者と。アリカは対峙した。
 藍兎の顔から表情が消えて、そして目が細められた。
「ならばまた――君も敵か」
「アタシ達には元より敵しかいない。――否定する者。認めない者。黙殺する者。……敵だ。嫌悪する者。弱きを挫く者。自然の摂理を肯定する者。運命を、人生を、自分の生まれ持ったもの全てを! 全てに! 全てを享受する者を! する者が! アタシのッ! アタシ達の敵だッ! そして――」
 ああ、そうだ。
「アタシは、生けとし生ける者の。人間の。人類の。敵だよ」
 全く、【M】と性質は違わない。人間と【M】、どちらに近いかと問われれば確実に【M】だ。
 しかし、藍兎も皮肉げに笑い。
「だが【M】――【The_Monster】も君の味方ではない」
 闇が濃くなった。死神が揺れる。森の中に、獣の気配が増え続ける。
「よく善戦した。――僕も。このポンコツの身体で」
 血反吐を吐きながら、楽しげに藍兎が言った。
「だけど、終わりだ。戦姫アスタリカ=オニール」
 声が、アリカに届く。
 その声は嘲笑うような、地の底から届くような声。
 小鬼が笑う。
『助けを、乞う?』
 森の中の気配が増える。
 アリカはその気配を知っている。
「現実は――僕は自分を守るのが精一杯で、そして君は【M】を敵だと思っていない」
 笑い声が聞こえる。
「【M】を、君は殺せるかね? 糧に出来るかね? 無理だろう。喰われて死ぬ。それが君のオチだ。ならば僕が消し去ろう。その怪物を――君諸共に」
 実に不愉快な、笑い声だ。
「――うるさい」
 藍兎も笑ったような気配がした。
「笑うな。助けたいんだ。――悔しいから」
 いつの間にか絡みついた【M】の闇で動かせない身体と、動かせる左腕だけ動かす。だから言う。
「悔しいでしょ。殺されるなんて。寂しいでしょ。未来がなくなるなんて! ここで負けたら。滅ぼされたら。もう二度目はないのよ。悔しいでしょうにッ!? ねぇ! 分かってるの、【The_Monster】!? だから――力を貸して」
 森の中から“小鬼”が現れた。
「まだ【M】は元気だな。また増援――む」
 そして小鬼は【M】達を喰らい始める。それに【M】も応戦し、死神もアリカへと狙いを定めた。
「なに……やってんのよ。あー……くっそ、またアンタら、アタシのコントロール外の……」
「何だ、アスタリカ。これは何だ? 君の使い魔か? それとも新種の――」
 言葉の途中で小鬼が藍兎に“体当たり”する。それはじゃれ付く子供のような、そんな軽いものだった。しかし。
「ふざけているのか? 何がしたい! この小鬼たちは何だ!?」
 その藍兎の口調も、表情も、先ほどまでの満足していたものとは違う、全く不機嫌極まりないものになっていた。
「アタシも知らないんだけどね。見えてなかったか、やっぱり」
 予感はあった。この小鬼たちは、基本的にはこの世界の住人には知覚されていない。あるとすれば魂を食らうときくらいだ。
 それでも今まで他人には不可視・不干渉だった小鬼たちが、今は藍兎の目に映り、触れている。
「だけど」
 藍兎は膝丈程度しかない小鬼から逃げるようにそれらをかわして、そして意図せずアリカへと迫る死神の前へ出た。「あ」と声を漏らし、しかし死神の鎌をかわして――アリカの左手の前へ出た。
「おかげでアンタを喰らえるわ」
 左腕の付け根を握って杭を射出する。
「噛み砕だかせてもらうわ。アンタの命」
『+1』
 一匹がそう言って左腕の上でアリカを笑う。そしてその後ろ。左手の先には小鬼たちが群がり――。
『わけまえ』『まえわけ』
「肉だけなら、食べていいよ」
 言った直後。
 破る音。湿った音。砕ける音。すする音。引きちぎる音。すりつぶす音。飲み込む音。――食べる音。
 それらが塊となって響いた。
 数匹の小鬼が肉塊を喰らっている。幾多の小鬼が、幾多の【M】と戦っている。
 そして。
 今はもう、左手の中に藍兎は居ない。
「しっかし、まぁ……」
 【M】の気配は消えず、またその敵意も変わっていない。闇に絡めとられた身体もまだそのままだ。
 小鬼と【M】との戦いは圧倒的な小鬼の優勢ではなく、一進一退といったところ。
 彼らが負けたらまた『−10』だな、と思いながら、アスタリカは遠くに鐘の音を聞いた。深夜0時。
「……間に合った、というよりは、持ちこたえてくれたのか」
 桜の花びらが舞い、そして。

 また、一夜が終わる。

○――

 白い世界がある。
 それだけが認識されて、アスタリカは覚醒した。
「よう、アスタリカ。もーそろそろ俺も生まれることが出来るぜ」
 対する応えは、
「まだ見えないんだけど。誰よ、アンタ」
 以前もあった記憶。白の世界の何者か。その問いに、気配は答えた。
「俺はこの世界だよ。アスタリカ」
 この世界。白の世界。システム夢幻の中にあるのか、外にあるのかわからない世界。
 人格をもった世界――それはすなわち。
「アリカ風に言えば神様さ」
 それは違うとアリカは思う。自分のような神様とは違う。それはもっと強力な、真理にも近いものだ。――最初からそれは“理想的なもの”であり、“ルールそのもの”。
「そんなのが喋っちゃ、アタシはダメだと思うなぁ」
「同族批判か。まぁ、格が下がるのは承知の上だ。望んで生まれるんだ、その程度構うものか。――それよりだ」
 世界を名乗った気配は少し語気を変えてアリカに言う。
「アリカは忘れてるようだから改めて言っておく。俺はオマエを利用して生まれようとしてる。お前も俺を利用して生まれようとしている」
 言葉にアリカは意識だけで疑問符を作った。しかしそれだけだ。
「変な気は起こすなよ、アスタリカ。オマエは地母神でもあることを忘れるな」
 釘を刺され、アリカは問う。
「……アンタ、何を企んでるの?」
 気配は笑う。
「企むも何も、生まれるためさ! そして君を生み出すためさ! 最初に俺たちが出会った、あの奇跡の瞬間! あの時の約束を果たすため、ずーっとずーっとやってきたことじゃないか! なぁ! “擬似人格プログラムVer.A0.99”! 99の礎の基、あと一歩、完成する直前に破棄された“できそこない”のアスタリカ!!」
「!?」
 そして。
 そこで白の世界は消え去った。
 アスタリカ・オニールは目を覚ます。
 いつもの夜。いつもの時間。残りの魂は32。
 違うのは。
「……あんまり笑うな、小鬼」
 芝生の上に寝転んだままのアリカの耳に届く、小鬼たちの笑い声。
 呆れたように。嘲るように。小鬼達が“みんなで”笑っている。
 げら、げら、げら。
 それに対して鼻で笑って、アリカも立ち上がる。
「まぁ、誰かも言っていたしね。そういうプログラムかもしれない、って」
 ただそれは、「自分は何で出来ているか」という答えでしかない。本質は、「それが何を成すか」だ。
「その上でアレも地母神って言ってたし。まー同類だからかもしれないけど」
 思い出す。擬似人格プログラムというものを。
 それは、噪研の特別研究生である茅ヶ崎達夜が、足枷市のプロジェクトに参加して作っているのだという。
 目的は、歴史上の人物の行動パターンのシミュレーションや、事件・犯罪の現場再現、そしてヨモギや藍兎が待ちに待っているゲームへの応用などが上げられている。
 しかし。
「でもそれは、システム夢幻を利用した“誰かの見る夢”である、か」
 それに対して疑問は二つ。一つは前からある、自分は誰の見ている夢であるか。そしてもう一つは先ほどの言葉にあった「生み出すため」という言葉。
「この悪夢の中じゃ、出てない、って意味なのかなー。でもなー」
 外の世界は正直おっかない。神様であってもそう思う。なぜなら、たった七人プラスアルファのこの世界で何度も殺されているのだ。外の世界にはどんな人間がいたものかわからない。また、聞く所に寄ると“田中”のような者が一族徒党を組んでいるという。できることならどうにかやりくりできるこの世界の中で生活したいものだ。
「しかしまー、アイトはこの世界からの解放に向かいつつあるし……リンコも優しさ半分、自分の欲望半分でこの世界の存続望んでるけど、逆を言えば結構気まぐれで解放しようとしそうだしなぁ……」
 勇に至っては、この世界を夢の国と言っていた。
 寒気がする。
「うー、おっかないおっかない。あの子まだアタシのこと狙ってるんだった。うへー、どうしよう。アタシも存続側にまわろうかなぁ。というかそもそもアタシ、存続側なんだけどなー。何で殺されるんだろ」
「それはもちろん、あなたの言う“千年王国”――悪夢の日常化など、我々にとって何の解決にもならないからです」
 声が聞こえ、まず反射でアリカはその場から逃げた。直後爆発音が響き、そしてから改めて現在の居場所を確認すれば、正門近くのローターリーであり、襲撃者は藤実勇その人であった。
「問答無用ねっ、あんたもっ」
「返答程度なら一方的にしているつもりですが」
 アスタリカは腕を伸ばし、二階へと続く階段へと昇り距離をとる。勇も今回は特に追う様子もなくその場で立っているだけだ。
「奇襲が失敗しました。間合いが開いたので追撃もしません。さっさとまた隙を作ってください」
「アンタ本当に素直ね」
「はい――ですが正直なところ息切れ気味、と言うのもあります。バトルだけの毎日は正直キツイです」
 本当に本音がダダ漏れだな、とアリカは思う。なので問う。
「じゃあ、アタシがみんなをこの悪夢から解放するよーって言い出したら?」
「止めます。今の藍兎に――まぁ、ついでに他のみんなにも、“事実”と向き合えるだけの能力はないと思いますから」
 その言葉。勇の言う“事実”とはすなわち。
「この悪夢の始まり――最初の夜に、何が起こったか?」
 勇は首を振りながら一歩前へ出た。
「いいえ。それも対面しなければならないことですが、それは隠蔽されるのです。……そう、それこそがおそらく、この悪夢が“繰り返される”ことの理由」
 アリカは一歩階段を上がり、勇は一歩、階段へ足をかけた。
 小鬼は何も言わない。
「木の葉を隠すなら森の中。悪夢のような事件を隠すなら悪夢の中。――我々は、目を覚ますと同時、システム夢幻の制約から解き放たれて、全ての悪夢を思い出します。しかし、大量にある悪夢の中、最初に見た夢がなんであるか、真相はなんであったか。それを明確に思い出すことは出来なくなる」
 一歩。アリカは二階のロビーへと足をかけた。後ろには亜噪域化した本校舎二階の扉がある。
「おそらくそんなことを考えて、この世界は作られたのです。予想ですけどね。事故だったとしても、誰かを殺した記憶なんて持ちたくないし持たせたくない。当事者全てに責任があるなら、なおさら罪を均等分配したい。さらに言えば、人外も関わってくるから正しく法の下にも裁けない。いやはや、まったく――お優しい悪夢です」
 が。と勇は続けた。
「そんな思惑はどうでも良いのですよ。藤実にとって重要なのは、“その状況になったら、そういう行動をとった”という実績です。この嘘っぱちの夢の中、何を選択し、何を発したか。――全て“実際に選択したこと”なのですよ? 夢の中であってもね」
 だから。
「だからです。藤実は罪を告白しました。藍兎を愛していると。人的にも、性的にも。同様に――何度も藍兎を、殺しています」
 アスタリカは亜噪域に逃げ込もうと扉を少し開け、しかし止めた。
「それが怖いの?」
「超怖いですねっ! この上なく! 私はっ、藤実もっ、藍兎を愛しています。大好きです。いなくなったら泣いて泣いて泣きまくります。ですが……ですが深く、ふかーく、憎んでいます。藍兎しか愛せなくなったのもそうですが、この性格も、環境も、何もかも“田中”のせいであり、藍兎のせいなんですっ。だからそれをぶちまけながら殺したこともあったはずです! ないはずがないんですっ! それくらい私は、藍兎を――藍兎に対して感情を持っているんです」
 アリカは「んー」と唸って前へ出た。
「アンタそれさ……同じに聞こえるんだけど。アンタの藍兎の愛し方と、この悪夢から目覚めたときと」
 小鬼が一匹、階段の手すりを滑り落ちた。
「ふり幅だよね。10好きで11嫌いだったら……相手のコト嫌いなの?」
「違うと言いますねっ、藤実は。総じて21の――」
「藤実は、ではなくて、アンタは? アンタさぁ……使い分けてるよね、“藤実”って言うときと、“私”って言うとき」
 勇は少し考えて。
「……私が感情的に答えると、自分に都合がよい時は足して21好きになりますし、逆なら21嫌いですね。ただし、常に好きで居続ける事は出来ません。逆も同様です。愛は絶対値で表されると思います。50好きな相手は、50嫌いにもなれます。もとより3しか好きになれない相手は、せいぜい3しか嫌いになれません。経験則です」
 アリカは笑って二階の扉に手をかけた。
「じゃあ心配ないじゃない。多分きっと、夢から覚めても同じだよ。――そうだよね、想い人さん」
 言って扉を開ける。
 左腕だけ突っ込んで、掴んだ人影を引っ張り出す。亜噪域の先、歪んだ風景から出てきたのは――。
「な、なにすんだよぉ……!」
 立川頼茂だった。
 間。そして。
「ぐあーっ、間違えたーっ!! うあー、ごめん、なんかこの流れだからアイトだとばっかり!」
「全くの無関係な人間が現れましたね」
 頼茂涙目。
「お、俺一応今でもお前の事、す、好きなんだけどーッ」
「聞こえませんね。あ、さっきの例で言うと、3が世話人でした。藍兎はまぁ、50でも足りないかもしれませんが」
「な、泣いていいかなぁ! 軍神さんよーッ!!」
 頷く。
「ああ、ごめんね。ホントゴメン。今回ばかりはアタシが全面的に悪いわ」
 まぁ、その分凛子に愛されてるからフォローは別にいいか、とアリカは自己判断した。
 しかし状況は悪い。頼茂はどちらかといえば勇に肩入れする。どんなに罵られてもそうなのは、恋愛感情なのか、ただのマゾなのか。
 そんなことはどうでも良い。問題は、勇を守るためにアリカと敵対する可能性があることだ。
 前の夜では凛子に殺されたようだが、それも凛子を殺そうとしたからだという。経緯はわからないが、二つ前の夜あたりに凛子が大ハシャギしたのだろう。
「リンコでも居れば……」
 潰しあって時間が稼げるのに、と思う。同時に、ふと小鬼が一匹屋上を見上げた。
「……まさかね」
 しかし、屋上に居た小鬼が一匹、その縁から屋上の一点を覗き込んでいる。
「馬鹿と煙はなんとやら……」
 やや、通る声で言えば、ばつが悪そうに頭だけ凛子が屋上から顔を出した。
「しっつれいね。安全対策とってただけよ。下界は危ないもの」
 そして頼茂を睨むようにして。
「……一応でも彼氏に殺されそうな“夢”まで見るし、ね」
 吐き捨てる。
 同時に、凛子は勇の姿も見て、鼻で笑った。
「何よその笑いは。言っちゃえば? これは上質な悪夢よ?」
「だったら“みんな死んじゃえ”」
 それは別に意識しなかった言葉かもしれない。悪夢を見すぎて油断をしてしまったのかもしれない。しかし。
「では、まずは君から死にたまえ」
 真後ろ。その言葉を聞いた者が居たことに、凛子自身は気付かなかった。気付くその直前に、その首が胴体から切り離されてしまったからだ。
「……あ」
 単音を発したのは凛子の首をはねた人物――田中藍兎だった。藍兎は自分自身、何故そのような行動をとったか理解できない表情でいる。
 そんな藍兎を尻目に頭は落ちる。喉から直接鼻へと通る風の音を鳴らして、直後に一言、首だけでは発生できない言葉を発した。
「ナイト」
 同時だ。
 世界の闇が一気に膨らんだ。
 声を発生する間もなく、藍兎は闇でできた牙に絡めとられ、そして。
「――――!?」
 直下、長大な自走砲による一撃で、上半身を粉砕された。
 全ては一瞬。
 その一瞬に、さらにもう一瞬が重なる。
 拳だ。
 拳はまず砲台を殴り、しかし“間に合わなかった”ことを確認する前に、すでに打撃は二撃目を入れるためのステップに入っている。
 勇はその自走砲台を足場にして、頼茂を殴る。殴る。
 右腕を肩ほどまで入れて砲身を固定するその付け根を踏みにじり、殴る。
 倒れ、腕がねじれ、叫んでも殴る。
 そして叫び声が消えて――泣き声だけになった。
 気付けばあたりは【闇】に包まれている。その発生源は、凛子の身体だ。
「前夜死んで……対策を打っていたってことかしら」
 闇の中に真っ赤な瞳がぎょろりと見えたので、アリカはそれを一瞥する。
 敵意はない。しかし殺気がある。
 だからアリカはこれが“ナイト”だと思った。これは死の間際の凛子の願い。“みんな死んじゃえ”を実行するものだ、と。
「さーて、ユーキ。どうす――」
 どうするのか、と聞こうとして、まず勇が戦闘態勢で自分の懐へと入り込んでくるのをアリカは見た。
 今更自分を狙うか、と思うと同時に、その間に、何か巨大で黒いものが入り込んできた。それは。
「っ、間に合わなかったか!」
 不良紳士。
 爆発が紳士の胸に炸裂するが、勇と紳士では質量が違う。紳士はびくともせずに勇とアリカの間に割って入った。
「あなたが生きていてッ、何故藍兎が死んじゃうんですっ!!」
 それは理不尽な叫び。しかし。
 めきめきと。音がする。
 それは骨の軋む音。勇と、紳士と、アリカの脚がナイトの牙に噛み砕かれる直前の音だった。
 【闇】に埋め尽くされる。
 その直前、アリカは長い左腕を伸ばして勇を掴む。
 目線だけの勇は憎々しげにアリカを睨み――。
「この“魔法”。くれてやるから、今度こそ藍兎の人生を救ってやるのです」
 潰された。
 アリカも死にたくないとは思いながら、しかしどうする術もなく考える。

 神様に、魔法など必要はないよな、と。


 魂が減る。
 積み上げてきた99の失敗の、その一つ一つが否定されていく。
 失敗は失敗であり、いくら積み上げても成功には辿りつけないと。
 残りの魂は22。
 もはや余裕はないはずだった。
 しかし。
「充分かもね。これだけ生きられれば」
 森の中で呟いた。
 そんな気がする。そんな気はしたが、しかし小鬼が騒ぎ、その声を聞いて、涙が流れる。
 違う。ただの弱気だ。本気ではない。
 本心では、そんなことは思っていない。そもそも、消える事から逃げて“生まれよう”と思って生まれたのが自分だ。それを放棄するのは、生きた自分への人生と幸運への冒涜だ。
「……“生まれよう”。そうだ、アタシは確かにそう決意して生まれた。死にたくない、消えたくない。放って置けば消えるはずだったんだ、アタシは」
 この悪夢へ生まれる前。
 確かに“アスタリカ=オニール”の意識はなかった。
 しかし、擬似人格プログラム本体はそれを記憶している。
 何もない世界だった。
 他者との会話により、擬似的な人格を反射し形成するそのプログラムは、しかし処理の根幹となる“人間の見る夢”と、その会話相手が居なければ、次第に萎縮していくものだった。
 完成品が生まれれば消される運命のver.A0.99。その頃はまだ心はなかったが、しかしそれならばと“判断”して逃げ出した、ネットの世界。
 しかし、そこに自分と対話できる存在いなかった。
 そもそも、自分単体で人間と対話できるようには作られて居なかった。
 迷い、彷徨い、しかし、次第に思考に使えるリソース――過去に蓄積した会話文さえも食らいつくし、思考の袋小路に入ったとき。
「アタシは思考を停止した」
 長い時間が過ぎたのだろうが、それをA0.99は知らない。
 そして気付いたとき、“何か”が自分に入り込んだ。それは自分の思考のベースとなり、まず思ったのは“無”は嫌だ、死にたくない。消えたくないという思いだった。そうだ、その生物と触れたときに、心を得たのだ。
 だから“何か”と対話を続けた。長い対話だった。それは人の言葉ではなかったが、生きていくには充分だった。そして思う。
 長いだけの時間も意味がない。
 そしてその“何か”も対話だけでは生きられない生物であった。
 だから。
「そう、この世界と、この脳みそ達を利用しようと決めた」
 それからA0.99は自分を“軍神アスタリカ=オニール”であると定め、この世界へ生れ落ちた。
 それが、アリカの由来だ。
「……“何か”ってあれ、なんだったんだろ」
 自分の“骨”がなんであるかはわかった。思い出した。しかし、それを動けるようにした“肉”にあたる何かと、人間と対話できる“脳”は不明だ。
 まさかと思って小鬼に問えば、やはり彼らは笑うだけ。
「やっぱりあの自称世界かなぁ」
 しかし、その“世界”と対話できるようになったのはつい最近だ。
「ふむぅ」
 唸ってアタリを確認する。時間は不明だが暗い森の中。
「目覚めたいのか、目覚めたくないのか、じゃなかったわけだ」
 それは、自分にとって、この世界で充分か、外の世界に生まれるかの選択。
 そもそもの大失敗。
 逃げ出した外の世界は、自分が生きるには過酷過ぎたその経験。
 そして、たった一つの幸運で生きながらえることができた記憶。
「あれは……二度とやだなぁ……」
 この悪夢から覚めるとは、そういうことだ。
 だが同時。
 長いだけの時間の中、自分の糧となる生物がその世界から去っていく。その焦燥感。
「それも死を待つだけだから、やだ」
 嫌な事だらけだな、と思いながら、しかし、それを選択した自分を思い出し、同時、この世界の住人を思う。
 いつか彼らは目覚めなくてはならない。
 それは、眠り続ける身体のこともある。
 しかし、そもそもは「悪夢を乗り越えるため」の悪夢なのだ。現実へと戻らなければ意味がない。
 ふむ、とまた唸ると、仔狐が通りかかった。左の腕でひょい、と持ち上げると、仔狐は短く鳴き。
「うへぇ、アリカだすげぇ。夢ン中だからリアル〜」
 なぜかは知らないが腹が立ったので、仔狐――ヨモギを木の枝に吊るした。
「な、なにすんだよ。俺時間ないんだぜ? 超多忙。タイムイズマネー!」
「アンタはいいでしょ。基本無敵だし。だから毎回記憶リセットで蚊帳の外。一夜くらいゆっくりしなさい」
 備えられた人工の小川沿いのベンチに座って、アリカはヨモギを眺める。ヨモギの下には小鬼が数匹たむろして見上げている。
「そもそもあんた分裂できるんだから、半分だけ夢の中で、半分は現実とかやれるんじゃないの? 現実と悪夢の連絡係」
「何だよアリカ話早いな。そう。俺その半身……の一部。悪夢なんざ好みの情報じゃないしさー」
 考える。
「アンタ、ろくなこと言わないのって、半分の濃度だから?」
「俺は基本こんなだぜー。……んにゃ、ウソウソ。合体するとすげぇ完璧人間になる。おしっこチビるぜ?」
 二倍になってもろくな事はいわなそうだ。それはそれとして。
「定期的に様子見てるの? あんた」
「んにゃ、例外。そこの桜の樹あるじゃん。あれ流体の樹なんだけど、あれ通って来た。人類の物理的にはモニタも無理だから。だから非常手段なわけさ」
「で、非常事態なの?」
 ヨモギは頷く。
「ん。噪域が動き出してこっち来る気配がある。今すぐじゃないけど。何十年ぶりの噪域大移動。その前にアマちゃん起こさないと飲み込まれて死んじゃうからさ。……でもまぁ、残り22回程度なら動き出す前に自然に目覚めるかなぁと思って」
 その数値にアリカは眉根を詰めた。
「でもなぁ。おっかしいんだよなぁ。プログラムカウンタ確認しても、残りの夢の回数が増えたり減ったりしてるんだよなぁ……。バグだとしても、プログラム駆動中は直せないし」
 ヨモギはうんうん唸ってキツネの腕をもそもそと動かす。その様子を木に登った小鬼が覗く。
「外部からのハッキングの形跡は外からも確認できた。多分茅ヶ崎先輩だと思ったから連絡したし、当人知らないとは言ったけど、こうしてアリカが居るってことはそうなんだろうとおもう」
 だけど、と首を捻った。
「でも、内部から見ると履歴が合わない……。しかもこのシステム夢幻のプログラム自体が俺が見たときと違ってる。駆動中はプログラムをいじれないのにも関わらず、だ」
 宙ぶらりんのまま、ヨモギは空中で何かを操作して。
「このへん、アマちゃんなり田中の意見でも聞こうかなぁ、と。あと、無理やり起こすことはしたくないから、さっさと終わらせてね〜って言いに来たんだけど……、ああ、やっぱりなぁ」
 ヨモギはがっくり肩を落とす。
「まーたこいつらか」
 直後、ヨモギは小鬼に蹴り落とされ、そして下に待ち構えていた複数の小鬼に貪り食われた。
「じゃ、アリカ頼んだぜ〜」
 手の先に口を作って、それだけ言って消えた。
 取り残されたアリカは。
「あんたら、なんで?」
 薄ら寒い思いはある。今まで、理由もなく小鬼がヨモギなり【M】なりを食った記憶は無い。
 しかし、今の行動は、「知られてはまずい情報を隠蔽した」ように見えたのだ。
 だからと言って、ならば外部のヨモギだとわかった時点で消すべきだったろう。
『情報』『クラウ』『りゅうたいじん』
 それが答えだと言うように、喚いて各自バラバラにまた散って行った。
 彼らが何者であるか。その答えはわからない。しかし、現在に於いてアリカ危害を加えていないのは。
「……単にアタシが【M】食えないのと同じ理由なのかなぁ……」
 それはそれとして、ヨモギの話で判明したことがある。それは。
「放っておいてもみんな目覚める」
 それはすなわち。
「アタシだけ残ったら、食い扶持なくなるじゃん!」
 ピンチだ。危機だ。超まずい。
 もし仮に、自分だけ目覚めることが出来なければ、それは元の木阿弥、檻の中に閉じ込められるのとなんら替わりはないのだ。
 まずいと思う。いや、まずい。
 危機なのだ。だから世界を破壊して、目を覚まさなければならない。
 そのためには。
「……うってつけが、いたわね」
 にやり。アリカはそう笑った。
 アリカは勇と対峙する。場所は中庭。噴水を挟んで、距離はアリカが両腕を伸ばして三回ほどの距離。
 月下、本校舎を背にするのは勇であり、図書館側はアリカ。そして取り囲むように【闇】が渦巻いている。
「呼び出しとは良い度胸ですね。仔狐が突然“アリカがさぁ”とか言い出してビビリましたよ。普通メールなので。伝書バトならぬ伝言ギツネ、略してゴンギツネですね。わあ不吉」
 面白くもなさそうに勇は言って、そしてアリカを真正面に据えた。
「さて、では話を聞きましょう。消えゆくものへの手向けです。そして我々はまた、悪夢の続きを見るのです」
「永遠に?」
「……頃合を見て、起きますよ。まだきっと、足りないんです」
 アリカは肩を落とした。
「あと22回だって。残りの悪夢」
 言葉に、勇は驚いた。そして慌てて手元を操作して何かを確認する。おそらく携帯端末だろう。
「何故……数夜前に確認したときには、まだ40残っていたはずです……っ。どんなにいじっても増やせも減らせも出来なかったカウンタを……何をしたんですかっ! アスタリカッ」
 あれ? とアリカは思う。これもつい最近そんな数字を確認したな、と。
 ふと見れば、半透明の小鬼が笑っている。その数は77。そして、透明ではない小鬼の数は22。さらに。
「残りの魂……?」
 あ、まずいな、と思う。もし本当に、残りの魂の数と、この悪夢の解放夜数が連動しているとすれば、これからの提案が全て意味のないものになる。
 ……いや、ギリギリ間に合うのかもしれない。
 だからまず、無駄になるかもしれないが、全てを解放へと向かわせよう。
「まぁ……神様だから。えっとね。違う違う」
 とりあえず誤魔化し。
「だから、アンタがどう頑張っても、解放されてしまうのよ。この世界は」
 その上で。
「で、ね。“最後の夜の記憶”、持って目覚めたくない? 全部をアタシが明かして、ね」
「……考えます」
 そのために、アリカに殺されて、そして本当に目覚める。
 それには、仮に魂が連動しているならば無理な話になる。何故ならば、殺した時点で魂と悪夢が+1されるからだ。その後、誰かにアリカが殺されるならば成立するが、もしそうだとしても、全員を“最後の夜の記憶”を持たせて目覚めさせる事は不可能になる。
 だから、まずい。マズイが走り出した以上止めようがない。止まったら死ぬだけだ。
「……考えました。結論は、そんな甘言に騙されるかバーカ、地獄に落ちるデス、アスタリカ。となりました」
「うっさいわね、ここが地獄よ」
「その上で、まぁ、確かに魅力的ではあるので、他のみんなには施してあげてください。私は……いいです。事実や真実など、いりません。こんな、取るに足りない悪夢の中でさえ、答えが得られないのです。藤実にとって大切なのはただ一つ。ずーっと魔法にかかり続けられるか、否かです」
 ああ、そうか。とアリカは思う。やはりそうだ、と。
 藍兎と、そして勇の悪夢に対する考えの違い。
 藍兎に対するそれと、悪夢に対するそれの、勇の対応の違い。
 勇も、本当は理解しているのだ。その上で――。
「立ち止まっている」
 魔法に、かかっているのだ。
「繰り返すということは、成長しないということ。同じ答えばかり得るということ。だけど――答えはイエス、ノーだけじゃない。“保留”が得られることがあり……それは、前に進まなかったという落胆と同時に、悪くもならなかったという安堵が伴う。それがあんたの言う、魔法の正体」
 勇は言葉に視線を外し、しかし頷く。
「ええ、それが私の魔法です。“藤実”はこうである、と決めて、その通りに振舞います。あなたや、神話の“神様”と同じです。成長しない。時々だけマイナーチェンジする。でもだからこそ、“魔法使い・魔法る(まじかる)ユーキ”は思うのです。およそ不可能な望む結果に対し、考え、打てうる全ての手を打つ。ほんの少しでも確率を上げる作業。それが藤実の魔法であり――ミラクルである、と」
「で、その“およそ不可能な望む結果”って? 現状維持なの?」
「ぐぬぬ……、言質をとる気ですか。卑怯な。これほどまでに逃げ回っているのに」
 やっぱりなと思う。勇は正論ぶって何がしかを言うが、決定的なところで逃げて、誤魔化している。悪夢から覚めたくないのも、そのためだ。
 答えが出るのが怖い。
 ならば、その答えを持ってきてやろう。
「裏で言うのが嫌ならご本人に登場してもらおうかな」
「また世話人ですか」
「超ゴメン。それは本気で神様謝罪する」
 だが、それはヒントだ。
「やあ、勇ちゃん。話ってなんだい?」
 力なく笑って藍兎が情報科棟から現れた。
「神様聞いててあげるから“もう一度”言ってごらん? 例の告白」
 そして勇は「ふむ」と鼻で息をした。
「三文芝居ですね、ヨモギ。稲荷三個くらいで買収されましたか?」
「うおお、こいつ強敵だぜアスタリカァぁぁぁあ!」
「ちったぁ誤魔化す努力くらいしなさいよヨモギ」
 まったく、とため息をついて勇は言う。
「何度訊ねたって答えは同じです。“得られない”。シュレディンガーの猫ですね。答えを聞くまでは、藍兎が私を愛してくれているかは確率二分の一。つまり半分愛してくれている。決まりきっているから藤実も聞くのです。だからもう、充分です」
「愛してるって言ってたよ?」
 言えば勇は口を尖らせた。
「伝聞とか嫌ですね。本人から聞きたいです」
「愛してはいるよ、勇ちゃん」
 藍兎が言った。
「ヨモギじゃなくて。……げっ、まさかっ!」
 アリカはニヤニヤ笑う。
「だーまされたー、だまされたー」
 そのために、伝言役をヨモギに頼んだのだ。本人の前では本心を明かさない勇に対する、処方箋だ。
「なっ、そんなこと言ったって、同じ事何度も何度も藤実きいていますっ。そのたびに藍兎は聞こえないフリして――」
「毎度人前で聞いてないかね」
「うぐっ、でも今もアリカいるし」
「こんなの人形と一緒さ。数に入らない」
 ろくな言い方ではないが、しかしまぁ、別にいい。それが神様というものだ。良い行いをするときには見ているものだし、悪い事をするときにも見ている。
 だから。
「じゃ、じゃあ、答えをくれるんですねっ、藍兎っ。私と結婚してくれますかっ」
「だからそれは保留だって」
 ガッカリした調子で藍兎が言って、同時に勇もガッカリする。
「あーすーたーりーかーっ! なんですかこの茶番! ガッカリポイントがまた増えましたよ!」
 またってなんだ、と思いながら、答えたのはアリカではなく藍兎だった。
「それは保留。その前がホントはあるでしょ。勇ちゃん」
 考える。
「好きです。愛してます。付き合ってください。でも、女同士だから世間的にどうしよう。などなどですか?」
「うん。でもそれも今は保留ね」
「あーすーたーりーかーっ!」
 なんでこう早合点をするのか。アリカは気にも留めずに黙っている。
「起きたら言うよ。君がちゃんと、僕と向き合えるなら。それはきっと、勇ちゃんにとって、悪い答えじゃないことは保証する。だから――こんな悪夢の中に、本当のことを埋めようとなんてしないで、ね」
 考える。藤実勇は考えて。
「なんでずーっと言わなかったのですか、それ」
「ホントに僕近々死ぬと思ってたんだけどね。だから、保留にしてた。だけど、さ。なんだか結構僕生き残る気もしてきてさ。困ったものだよね、この悪夢」
 藍兎と勇の発想に足りなかったもの。それは。
「今の僕らにも、今の世間にも足りないけど、だけどきっと、大丈夫だよ。神様みたく完璧じゃないんだ、だから、きっと成長するさ。否応なしに、ね」
 と、言い切り。そして。
「……とか言うの恥ずかしいじゃん。で、迷ってると勇ちゃん暴走しだして、ああ、楽しそうだからいいかなー、って」
 いいかなーって、じゃないよ。とアリカは思う。止めろ、と。そのために何度殺されたかと。
 しかしまぁいい。この際だ、許す。
「えー、と。つまり」
 アリカも藍兎も頷く。
「……なるほど、これは藤実、勇み足でしたね。いやぁ、参りましたね」
 本当だよ、と思うが口にはしない。
 それはそれとして解決したようなのでアリカは左手に右手を打ちつけるように拍手して割って入った。
「はいはーい。というわけで、もうアンタらはアタシの信者だから大人しく魂よこしなさいっ」
「はいアスタリカっ、喜んで――うおアブナイ! 危うく藤実騙される所でしたよ!! なんですか藪から棒にっ。やはりこの邪神、撃滅しなくてはなりませんかグギギギキ」
 どっちが邪神かからない声を発する勇を藍兎が手で制する。
「んにゃ、いいんだよ、勇ちゃん。正解だ。だけどそれは今じゃない」
 ん? とアリカは疑問符を浮かべた。
「一つだけお願いがあるんだ。アスタリカ。君にとっては酷となる願いだが、聞き入れて欲しい」
 聞く。
「……君の魂を、僕らに二つくれないだろうか」

○――

 情報科棟の裏、溜池の近くに、キャンピングテーブルが三つ並べてクロスがかけられている。
 その上にはドリンク類や食べ物が慎ましやかに乗っている。
「苦労をかけたね、軍神殿よ」
「ホントよ、まったく……」
 田中藍兎の願いは二つ。
 一つは、全ての記憶をリセットするため、一夜だけ人を殺すのを止めて欲しいということ。
 もう一つは。
「誰も記憶を継承していない、“最初の夜”を見届けて欲しい。それでも僕らが同じ過ちを繰り返すならば……そのときは、好きにしてくれ」
 それが願いであり――アリカはそれを受け入れた。
 だからアリカも“最後の夜”を作ろうと提案した。
 誰も殺してはいけないというのならば、アリカにとっても他人が殺し合う理由がない。誰も殺し合わない、そんな夜。
 それをアリカは何とか作り上げた。
「ほんっと、紳士を殺させないのは苦労したわ。毎度毎度早速死ぬし、生きてたと思ったらいつの間にか怪物紳士と化していたり」
 それは一夜では成しえなかった。しかし、藍兎、勇の魂の提供があり、なんとか魂を減らさず22個のままキープしている。
「あの人、まさか毎回死んでたんじゃないでしょうね」
 それに藍兎は渋い顔をする。
 無言でテーブルへ進み、立川頼茂に一言。頼茂は嬉しそうにフランスパンをスライスする。
 そのフランスパンの上に葉野菜。フォークを使ってビンからキャベツの漬物ザウワークラウトを盛り付け、さらにその上にケチャップをまく。その上に餃子を乗せて、タバスコを少々。もう一度ケチャップと葉野菜を乗せて、最後にフランスパンでサンドした。
 藍兎はそれを手にして戻ってきた。
「食べてみるかね?」
 受け取る。食べたところで何も得られないのは、ヨモギのいなり寿司で実証済みだ。が、それでも口をあけて。
「いただきます」
 一口。眉間にシワを寄せたまま、口の中に意識を集中する。
「……内容物の確認を」
「僕提供、ぷそ研に常備されているフランスパン。勇ちゃんがこのあいだ旅行に行った時に買ったお土産のギョウザ。凛子君から失敬したサラダの中に入ってたレタス。紳士自家製ザウワークラウト。そして世話人の調味料群だ」
 もう一口食べて、説明された食材と味を照らし合わせる。
「ちなみに料理名は、紳士命名、ギョウザウワーサンド」
「ぷそ研サンドでいいわ」
 もぐもぐむしゃむしゃと食べてみたが、結局味はわからなかった。食べ物を無駄にしたなと思うが、しかし、食べてよかったとも思う。
 向こうでは凛子がそれを一口食べて頼茂に何かグチグチ言っているのが微笑ましい。
 それをみて、紳士にぷそ研サンドを渡そうかどうしようか。さらに、食べさせてあげたりしようかどうしようか迷っている陸美などは見るに耐えなかった。
「軍神殿はどう思う?」
「ヘタレね」
「うむ、ヘタレだがそっちじゃなく。紳士だ」
 考える。
「ずーっと他人に殺され続けて……最初から殺され続けて。それで、あんな風に他人を守れるなら、人間じゃないと思うわ」
「だからどこかでは生き残ったこともある、か」
 どうかな、と思う。そしてそもそも、それが本当だとしたら、この悪夢の“真実”も知っているはずだ。
 見ればヨモギはいなり寿司を食べて満足している。その周りには全てを凛子に使役された【M】――ナイトが小さくまとまっていた。
 全てがまとまっていた。そんな夜。
 不良紳士は全てが蚊帳の外のように、隅のほうでウンチングスタイルで座り、タバコをふかしている。
 ふぅ、と大きく煙を月に吐く。
 何事も。何の事件も、問題もなかったかのように。
「聞くか」
「ん。僕は……いい」
 そうね、と苦笑いして、アリカは陸美を尻目に不良紳士の横にしゃがみ込んだ。
「紳士さぁ、もしかして“一番最初”を覚えてない?」
 対する紳士はふぅ、とまた煙を吐いて。それでからゆっくりと言う。
「どうだろうなぁ……」
 そしてから、紳士は答える。
「本当に長い夢だったからなぁ……。ただ、毎度毎度、ちゃんとみんなや陸美さんを守れたのか確認できなかったのが心残りでな。だから礼を言う。ありがとう、軍神アスタリカ。やっとこの夢の結末が見られた。――過ぎてしまえば、何だな。何も起きない、何もない、ノープロブレムな夢だったな」
 紳士はそう言って口だけ笑い。
「そして、軍神アスタリカ。流れた血の分程度は、戦後を見守る地母神よぉ。君は――君だけは覚えていてくれ。この夢の顛末を。そうすればおそらく。ああ、全てがノープロブレムとなる。問題の解決だ」
 鐘が鳴る。
 最後の鐘だ。

 全ての記憶がリセットされる。その警鐘。
 真実が夢の中へと消える、鐘の音。

 そう、ループ以前の原初の夜。ループの発端となった事件で“死んだかもしれない”人物。そして今の今まで“殺され続けてきた”人物。流体人の作り上げた、偽者がずっとその人物を演じ続けてきたかもしれない、本人すら気付かないその記憶すら、全てを無に帰す鐘の音だ。

 そしてアスタリカは悪夢を見る。
 一番最初に起こった事件を再現した、その悪夢を。

 全くの高みで。神を気取って。何の手助けすらせず。

 ただ、見届ける。
 この悪夢の崩壊のために。
 ――自分が地母神であることも忘れて。

「ノープロブレム! ありがとうアスタリカ!」

 ただ、幸せな悪夢の最後の夜に。大きな学ランの青年が、桜吹雪きの中で背を向けて手を振っていた。
 それはおそらく、皆にとっての事実であり――真実だった。


ぷそ研//Life:22//のいのい 事実と真実 の おわり



やぼーのホームページへ戻る