ぷそ研//のいのい


 では生まれよう。

 今度こそ、祝福される世界に――。





 夜があった。
 深い夜だ。
 アスタリカ=オニールはそんな夜の中、一人図書館のとがった屋根の上にしゃがみ込んでいた。
 正面には中央広場。それを囲むように本校舎があり、斜め右には本校舎東棟に包まれるように情報科棟がある。
 右手にはノイエリーベ。左手には森。
 それらを見下ろす位置だ。
 そんなアスタリカの脇。ちょこんと小鬼が座っている。
『しゆう』『ゆうしい?』
「じゃあ、見ましょうか。始まりの夜というものを」
 言えば小鬼の視点がアリカへと繋がる。小さな箱庭に散らばった小鬼が見る世界。それが一手に押し寄せる。
「神様視点のリプレイね」
 鼻で笑ってその夜を見る。
 見れば何ともない、今まで見てきたものと同じ夢だった。

 登場人物は七人。少なくとも、人の形をした者は七人居た。
 百何十年も前に宇宙から降って来て、“人間のフリをした妖怪”のふりをして生活してきた流体人が二人。
 それらに生態系と人間社会を狂わされないよう、時には対立し、時には協力してきた一族・田中家とその協力者がそれぞれ一人。
 何も知らずに卒業研究のため残っていた人間が三人。その中に、過去に流体のおかげで一命をとりとめ、しかしのせいで特殊な【声】を持ってしまった例外が一人。

 そしてもう一つ。

 『怪物』という概念。それが実体を得て闇に潜んでいる。
 それは【The_Monter】――【M】と呼ばれて、流体人を喰らい、人類を脅かすものとなりつつあった。

「まぁ、でも基本的に人間には関係ない話なのよね」
 アリカは人の動きを眺めながら呟く。

 流体人は【M】殲滅のための作戦を立て、そしてその戦闘を“誤魔化す”ために、【M】をこの足枷工業大学に集め、研究中のシステム夢幻を意図的に暴走させた。

「さて、でもこの時点じゃ“繰り返し”なんて必要ない、と」
 小鬼が何かのボードをアリカに見せるが、アリカには何が書かれているか理解できない。見る者が見れば、それがプログラミング言語であり、この悪夢の初期設定であると理解できたのだろうが。

 【M】殲滅のため動き出した流体人は、校内に残った一般人を追い払うため、外に出た人間を脅しをはじめた。

「っても、これやってるのヨモギだけかぁ。あー、なんだあの楽しそうなツラ。腹立つなぁ」

 しかし、人間は強かった。怯え、混乱しながらも、男女の二人は流体人の脅しを跳ね除けた。そしてそれは同時に【M】の反撃のチャンスとなる。
 残る流体人と田中家がそのピンチを救うが、それが逆に“女”を調子付けた。
 自分を守る男以外、全て敵だと判断した女は、全ての脅威を払拭しようと男を“操った”。

「あぁ、これ、拳銃に弾込めたのと引き金絞った人間が別ってことか」

 そして、そんなピンチの人外を守ろうと、颯爽と現れた人物が一人。

「でも……あーあ、死んだわね。あれじゃ」

 しかし力及ばず、瀕死の重傷を負ってしまう。
 それを、人知の及ばぬ術によって回復させようと試みた人外――人類とは根本的に違う生物がいた。

「死ぬんだから、死なせなくちゃ……ってのは、アタシが神様だから思うのかなぁ。アレ、もう数日もすれば脳みその中身全部別人になるでしょうに」

 文字通り、形だけは責任をとって、そして流体人たちは【M】と戦えるだけの戦力を失う。
 それ故に当初の目的の【M】殲滅は、田中家の武力によって成された。

「あー、まったく。毎度しょうがないわね。人間って」
 しかし時間を見ればまだ22時前。二時間程度の余裕があり、まだ繰り返しの設定はなされていない。

 そんな収束に向かう夜の中で上機嫌な女が二人。一人は【M】のなれの果てを従えて。もう一人は瀕死の院生からアクセスキーを拝借して。
 それはシステム夢幻の設定を変えるために必要なものだった。

「んで、アイト大活躍のこの世界を繰り返そう、か」

 同じようにこの世界を望むものが居た。気兼ねなく【声】を発せられるこの夢の世界。
 二人の目的は同じだが。

「どっちがタヌキでどっちかキツネかなぁ」

 戦闘となる。理由は【M】のなれの果て――ナイトのためと建前はなったようだ。
 その中で。
 二人の協力者がそれぞれ現れる。
 だが。

「……あーあ。リンコ可愛そうに」

 拳も、切っ先も、砲口も、全て【声】の主に向けられた。
 【声】の主は自分の“騎士”を操ろうとするが、しかし彼は従わない。
 そこで初めて、【声】の主は彼が【声】ではなく、自分の言葉に従っていたと気付き――。

「みんな死んでしまえ、か。誰もアンタを裏切っちゃいないのに」

 そして、言葉に従って“まず”その【声】を殺そうと刃が喉を突き、同時に銃声が響いた。
 直後は、咳き込む声が響く。

「“お前は殺すばかりで死んでないから、その弾丸も通らないんだ”、か」

 【声】の強制力ではなく、自らの意思で【声】の主にしたがっていた男は、それ故に自殺を試みた。しかしそれは撃甲に阻まれ――瀕死の【声】の主の横でただただ、想いの限り泣き喚き続けた。

「残ったのは田中家だけか」

 そして満身創痍の田中の者は事態を収拾させるため、その補佐役は全く逆の目的のためにシステム夢幻にアクセスしようとしたとき。

「【M】の復活。いいわね。その根性、アタシの祝福対象だわ」

 人間と流体人とが混ざった生物が、【M】となって復活した。
 元は人間の概念が流体を利用して生まれたもの。それゆえの復活だ。
 それに対しては、悪夢を望む女が全ての想いと、思い込みを乗せて対峙し――。

「……やっぱり、根性ないわね。【M】」

 しかし田中家次頭の言葉で、喜んで【M】は滅び去った。

 残ったのは、何も残らない夜だった。
 そして、だからこそ気付いたのだろうか。
 一人が近くの仔狐にメモと落ちていたアクセスキーを渡して、そして仔狐が走った。
 程なく。

『あと』『あっど』『つばいたうざんと』『ぜくすうんとひあちひ』

 256回。悪夢が追加された。

 鐘が鳴る。
 0時10分前の鐘の音だ。

 それを聞きながら。

「…………」
 目が合う。一つの、強い瞳だ。
 アリカは小鬼の頭を撫でて立ち上がった。
 桜が舞う。
「そうか……そうか軍神殿よ! 思い出したぞ!!」
 それは力と共に恨みのこもった声。
「僕らはずっとこんなことを繰り返してきたのだな……256回も悪夢を見れば、二度も同じ悪夢を見ないだろうと、深層意識から思うだろうとこの悪夢を作ったというのに!!」
 アスタリカは月光を背面に浴びながら黙って聞く。
「13人パーティーで旅するPRGだって、誰も仲間にしない一人旅でラスボスに256回も挑めば倒せたんだ! ホントだよ。僕は――ああ、くそう。ダメなのか……神よ!」
 ダメだったね、とアリカは思う。何故ならそれは、当たり前の積み重ねで起こった事故のようなものなのだから。
「それでそんな高い所から見下して……っ。僕らの罪を、運命と嘲笑っていたか……!」
 随分と心外だな。と思いながら聞く。積み重ねは思い出しても、たった一夜前の願いも忘れているのだ。責めようもない。
 しかし。一つだけ確認しておくことがある。
「あんたそのボス、256回目で倒したのね?」
「小躍りしたね! 実に区切りのいい数字で!」
 ゲーム脳が刺激されてテンション上がっているのか、ろくな返答ではないがおそらく肯定ととっていいだろう。
「そう……ならやっぱりあんたらは解放できるわ。世界を壊さずに」
 桜が舞う。薄紅色に覆い尽くされる。
「もっともそれは――」

○――

 白い世界がある。何度も来た、何もない世界だ。
 そこに白い影が立っている。
「アスタリカ。お前、あいつらを解放するつもりだろ」
 白い影の言葉に頷く。
「どうかしら? まぁ、神様として――」
「それは世界の崩壊だ! 俺たちが生きるための“系”を壊して、何が神だ!」
 しかし、言葉だけで影は動かない。
「あんたも人間の魂を喰らうの? 今からでも遅くないわよ、やめときなさい。あんたまだ生まれても居ないんだから」
「違う! 言ったろう、俺はこの世界だって! 俺が喰らうのは――!」
 そしてアスタリカは気付く。
 この影の正体を。
 何を基にして、何を礎にしようとしているのか。
 だから“名付けてやる”。まだ生まれても居ない、その“姉弟”に。

「あなた、“ナイトメア”ね」


 アスタリカ=オニールは目を覚ます。時刻はいつもの19時。
 場所は正門前のロータリー。
 残りの魂はたったの21。
「気長に21夜を過ごそうかしら」
 半透明になっていない小鬼の数は21。それを数えて安心する。
 見れば駐輪場の向こうに田中藍兎と藤実勇の姿が見て取れた。二人とも何も知らないそぶりで情報科棟へと向かっている。
 しかし、ふと疑問が浮かぶ。
「……最初のゼロ回目の夜に死んだのってあの人だけよね」
 なら、記憶を継承しているのも一人。そして、その人物はあの泥沼のような悪夢を繰り返すような人物ではない。
「何がこの世界を悪夢に導いたのかしら……」
 首を捻って右手を挙げる。
「おーい、アイトー。残りの夜、いくつになってるー?」
 藍兎は首を捻って眉間にシワを寄せ、勇は当たり前のように戦闘態勢をとる。近寄ると殴られるのでその場に留まるが、しかし次の瞬間、夜に響く澄んだ笑い声が聞こえた。
「ッ!」
 脊髄をじかに扱き上げられるような。脳幹を小爪でカリカリと掻かれる様な。そんな笑い声。
 直後。
「あんの――バカッ!!」
 世界が闇に覆われた。
 【M】。【The_Monster】が活性化し、闇が地を覆う。そこからコールタールのような粘着質の闇が隆起し、巨大な獣の顎となってアスタリカを――喰らった。

○――

 気がつけば、また19時の夜の中に居た。
 残りの魂は11。場所は中央広場の噴水の脇だ。
「……悪夢の原因がわかったわ」
 最初の夜に、館林凛子も死んでいたのだ。いや、それ以前に――。
「ねぇ、リンコ。あんた昔、死に掛けたって言ってたよね」
 がっくり疲れて脇のベンチに座る。丁度凛子も図書館の前を通りかかったところだった。
「ええ。山の上のオヤシロで遊んでて転げ落ちて喉切ったの。死んだと思ったわね」
 そうだ。そこで多分、本来ならば一度死んでいたのだ。彼女は。
 しかし、陸美曰く“やまびこ”の流体が彼女の喉を繋ぎ止め、そして声帯兵器を宿す運命になってしまった。
 故に。
「息はあってもその喉が潰されたら死んだ扱いか」
「あら、アリカも前の夜の記憶があるの? ……そう、死ぬと記憶が継承するのね」
 いらないことを言ってしまったな、とも思うが、特に気にはしない。
 ただ、試しに一つだけ聞く。
「ねぇあんた。いい加減飽きない? この悪夢」
 言われて凛子は不思議そうな顔をして――そしてから夜空を見上げた。
「そうね。なんだかろくなことにならなそうなのは、なんだか予想できるわね」
 しかし、言いながら肩を落として苦笑いする。
「でも、ケジメはつけたいのよ。……私を殺したあの人の、気持ちを確かめたいし」
 少しだけ、気楽な苦笑いだ。
 そしてまた、同じ夜を繰り返すのだな、とアリカは思う。
「ならば僕も一つだけ質問をしよう」
 不意に、響いた声にアリカは身構える。
「君の残りの魂は、いくつだね」
 情報科棟の近く。長身だが猫背の女性、田中藍兎は少し口をへの字にして訊ねた。
「11だけども。……気付いたの? アンタも」
「不快だよ。自分の設計したゲームの攻略法をネタバレ同然に示されるのは」
 主語のない会話に、一人凛子がついていけない。
「えっと……“説明”――」
 言いかけ。
「あー……。そうね。田中さん、説明お願いできる?」
 【声】を使いかけてやめた凛子の、その様子を見てアリカは小さく微笑む。その様子に凛子は不快そうに眉根を詰め、藍兎は鼻で笑って愛刀を引き抜いた。
「了解した。――そして死にたまえ、軍神殿よ」
 一閃。
 当たり前のような動きで【吉備津彦・壊】は上段から下へ、アスタリカの長い左腕を両断した。
「っ、アンタはっ! まったく……」
 直後、タイミングを見計らったかのように、自走砲の動く音が耳に入る。
「し、死ねーッ! バケモノーッ」
 頼茂だ。直後に響く轟音。
 誰も彼も相変わらず小心で、そしてだからこそ、守られたり守ったりしているのだとアスタリカは再確認をする。
「約束は果たすわ――」
 言って。
 アスタリカ=オニールはまた魂を手放した。

○――

 闇の中。
 何もない、何も見えない所から、ゆっくり意識が覚醒し、夜の青く澄んだ闇の中へと生まれる。
 アスタリカ=オニールは正門前で目を覚ました。
 残りの魂の数は1。
 げらげらげらと小鬼が笑う。もはや実体として見える小鬼は一匹だけだ。
 それでいいと思う。この子鬼の数が、確信だ。
「最後の一夜……」
 それを残りの魂1で迎えられたのは良かったとも思う。
「この夜が終われば、残りの魂は0になる。けれど――」
 自分自身の魂が残る。
「世界が壊れてあの子達は解放されて、そしてアタシは……」
 どうなるのだろうか。それはわからないが、逃げ道はある。ヒントはあのカミサマ気取りの“ナイトメア”だ。
 死んだときのルール。死ななかったときのルール。それを思い出す。
「だからこの夜は、間違って殺されないようにしなくちゃ」
 よしっと立ち上がる。行く当てはないが、しかし何もしなければ殺されてしまうのがこの世界だ。油断は出来ない。
 そして。
「うげっ、エンカウントしましたよっ」
 遠く。本館西棟の出入り口付近に藤実勇を発見した。むしろ「うげ」はアスタリカの言葉だろうが、発したのは本人の勇だった。
 その勇はすぐさま身構え。
「べっ、別にアリカのために協力するわけではありませんからねっ」
 逃げた。
「……は?」
 アリカは混乱する。今までにない反応だ。
「ちょっ、何企んでるの!?」
 イヤな予感がする。盛大にイヤな予感だ。
「ッ!?」
 とりあえず背後を振り向く。何となくこのタイミングならば、藍兎が隙をついて背後から斬りかかってきてもおかしくないと思ったからだ。しかし、藍兎どころか人の気配はない。
「……や、やばい……。ラスト一夜だってのに、この期に及んで……」
 人の気配はないが、【闇】が蠢いている。それも、明確な意思を持っているかのように。静かに、ゆっくりとどこかへ集まろうとアリカを無視して消えてゆく。
 その原因はわかっている。
「この【声】……」
 先ほどから遠くで鳴っている、高く澄んだ【声】。館林凛子が何かを唄っている、その響きだ。
「ウソでしょ……もう……」
 危険だと思う。凛子が調子に乗るとろくなことにはならない。
 しかし、だからと言って殺すこともしたくない。それにはもう一夜を過ごすリスクと、報復のリスクが伴うからだ。
「あーっ、もう……」
 半透明の小鬼たちは楽しそうに飛び跳ね、たった一匹残った実像の小鬼はじっとアリカを見上げて笑っている。
「仕方ない」
 とりあえず、藤実勇を追う事とする。
「アレはアレで表も裏も正直に話すから……そっからね」
 気を付けるのは藍兎だ。彼女は体力がない代わりに、不意打ちに長けている。
「本当に最後まで世話の焼ける……」
 がらがらごろごろと左手を鳴らしながら本館西棟へ向かう。わざとらしく音を鳴らして、自分の存在を示しながら。
「熊よけかって……んのっ!?」
 本館西棟を曲がってすぐ、何かを踏んだ。それは。
「ユーキ!?」
 死体だ。うつぶせに倒れているが、肩から腹にかけて正面から斬られたようで、出血が激しい。そして、その血でレンガの地面に何かが書かれている。
「……“ありがとう”?」
 わからない。
 死にながら書いた文字。ダイイングメッセージ。
 それはわかる。
 しかし。
「……死んでる……よねー」
 本当に不気味なので、魂が増えるリスクを犯して、あえて勇の頭を握りつぶした。
「……よ、よし、死んでた」
 ほっとする。アリカは心底ほっとした。
 同時に起こる疑問。
 この刀傷は、藍兎によるものだろう。
「リクミも直刀を使うけど、それだと刃は肩で止まるか、それかそもそも突き刺すように使うはず……」
 しかし、藍兎によるものだとしたら何故だろうか。
 繰り返しの夜の中で、藍兎が勇を殺すこともあった。しかしそれは、勇の暴走が過ぎた場合に共に死ぬ覚悟であるときくらいだった。そういった場合は、想いを伝えるため真正面から戦っていた。
 だが、そのような物音はしなかったし、何より戦ったような様子が周辺にも遺体にもない。
 考える。
 しかし、その間にも、ぞろり、ぞろり、と【闇】はどこかに集まっている。
 そして。
 ばくんっ。と。肉と肉が空気を挟む、巨大な音が鳴り響いた。
「ったくもぅ!」
 物音は中央広場。そこへと駆けつける。すると。
「遅かったわね、アリカ」
 そこに立っていたのは館林凛子と、そのお供の“ナイト”。それだけだった。
 そして周囲に散らばるのは、血と肉と、そして鴉の羽根と、獣の毛。
「……最後の夜だってのに……なんて惨劇かなぁ。まぁ、らしいっちゃらしいけど」
 それを聞いて凛子は楽しそうに笑った。
 その周囲に横たわるのは、直刀を突き刺された不良紳士であったり、焼け焦げたような痕のある頼茂であったり、銃で撃たれた藍兎であったりした。
「リクミとヨモギはナイトの腹の中……か」
 しかし、むしろそれは一つの安心となる。残ったのは凛子だけだ。話しが通じないときもあるが、大抵は通じる。
「ねぇ、リンコ。これは一体、どういうつもり? 事と次第によっちゃ……アンタに協力するわ。だってアタシは――」
 言い掛けた言葉を、凛子が遮る。
「あなたに、プレゼントがあるのよ。アスタリカ=オニール」
 その表情は至って不敵。心静かに。ほのかに蒼い月光の元で、微笑むように。
 唄うように、告げる。
「企画・発案は、田中藍兎。アンタの“魂”と、この“悪夢”の関係を教えてくれた」
 アリカは思う。まずいな、と。藍兎はろくな事を発想しない。
 むくむくと恐怖感が湧いてくる。
 何より、今ここで“ナイト”をけしかけられたらまず死ぬ。陸美とヨモギを吸収したのだ、太刀打ちできるわけがない。
 だから、チャンスをうかがう。まず、凛子の喉を潰さなくては。それだけ済ませば、とりあえず凌げる。
 何より。
 死んだら、死ぬ。
 残りの魂は、もう10ないのだ。そのぶん、自分の魂まで消えるのか、一個だけの代償で済むのかは不明だが、いずれにせよあの“白い空間”にはたどり着けない。
 だから目を細め、腰を落とし――。
「最高の【声】であなたに伝えるわ。アスタリカ」
 踏み出す。
「――“ありがとう”」
 二〜三歩。強い踏み込みは、そのままの勢いで、しかし凛子を通り過ぎた。
 バランスを崩したアリカを、ナイトが支える。
「“君が見守ってくれたおかげで、この結果を選ぶことに不安がなくなった。”田中藍兎」
 何を、言っているのだろうか。それが、アリカの感想だった。
「“別にアリカのためではなく、自分の全てをもって行くためです。が、感謝もなくはないです。”藤実勇」
 礼を言われている。なんとなくだけ、それを理解する。
「“恋愛の女神に伝えてくれ。待遇の改善を。頼りにしてるよ神様。マジに。”立川頼茂」
 これはあまり意味がわからなかったが、凛子の機嫌が悪くなったのはわかった。
 気を取り直し。
「“私たちが不甲斐ないばっかりにごめんなさい。ありがとう。”天海陸美」
 本当だよ、と思うが、それは陸美に限らない。気にやむ必要はないのに、陸美らしいといえば陸美らしい。
「“なんかの拍子に現実世界に出てきたら、完全体の俺を見せてやるぜー。”比良坂ヨモギ」
 そういえば、この夢幻の中と現実とで、ヨモギは半分の流体濃度しかなかったと言っていた。完全体になったら、より一層ろくな事を言わないのだろう。
「“礼を言う。ありがとう。そして、お別れだ。”アルバート・芙蓉=シンディ」
 ……初めて聞く名前だ。勘は働くが、しかし一応訊ねる。
「……誰?」
「不良紳士」
 ふよーしんでぃ。
「あの金髪、地毛?」
「瞳も生まれ付いてのブルーなんだって。名前知ったのも私も初めて。天海さんなんて、その事実を知ってからずーっと私の手を握ってぎゅーぎゅー、ぎゅーぎゅー。すっごい痛かったし、すっごい怖かったし」
 さぞかし嬉しかったのだろう。
 しかし、今不良紳士の胸に刺さっているのは陸美の直刀だ。
「……で。そろそろネタバラししてほしいんだけど」
「みんなで決めた一つの答えと、そしてあなたとのお別れ会よ」
 快く、凛子が笑う。
「決めたの、私たち。目を覚ますなら、全てを忘れて目を覚ましたいか、それとも、そんなのは嫌か」
 だから、これを最後の夜だと知って、選んだのだ。
「私たちは、現実で悪夢の続きを見ることにしたの。ちゃんと、向かい合おうって」
 相変わらず真実はきっと悪夢の中に埋まったままだろうけれども。
「だからね、アスタリカ。ちゃんと私たちを見守ってて、そして解放の筋道を教えてくれたあなたに、せめてものお礼。そして――」
 凛子は大きく息を吸う。
「“私は忘れないわよっ! 軍神アスタリカ! 悪い人生を喰らう、魂喰らいの神様っ!”」
 一気に言って、ふんっ、と鼻を鳴らして胸を張る。
 そして間髪を入れない。
「だから、アリカに――」
 そこまで言って、涙が落ちた。
 あれ? とアリカは思う。
「ごめんっ。アリカに、まちがって、魂とか……こんな世界だけど、続けたいとか、ギリギリになって、思わないようにっ」
 何だろうか。なぜか知らないが、アリカは消える、という流れになっているようだ。
「最後の最後で、アリカがやっぱり死ぬの怖いとか言わないようにッ!」
 あ、油断したな、と思う。
 安全のための犠牲。それがアスタリカ。ということだろう。
 そんな予想をアリカはしたが、それは直後に砕かれた。
「“なぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいとっ!! 私を殺して、消滅しなさいッ!!”」
 問答無用。
 【闇】が一斉に動いて、凛子を食い殺す。直後、その【闇】自体も青白い光となって霧散した。
「……は?」
 声だけが響く。
 数秒。考えて、そしてあたりを見回す。
 誰も、何もない。死体もいつの間にか消えている。
 時刻は20時半に差し掛かったくらい。
「……えー……ちょっと……」
 がっくりとアリカはその場にへたり込む。
「そういうのってさぁ……寂しいじゃない」
 しかし、口元は笑っている。
 まったく。
「これが本当の“戦後”、かな。ホントに良くわかってるわ、私へのプレゼントが」
 あたりでは、ほとんど見えなくなった小鬼達が好き勝手に学校施設を使っている。もはやこの世界の住人は自分たちだけであるように。
 その中で一匹。実態の残った小鬼が口を開く。
『ありがとう』
「こちらこそ」
 そして残った時間をゆっくりと過ごし、アリカは心静かに0時を迎えた。

○――

 世界がある。
 白い世界だ。
 それ以外は何もない。何も見えない世界だった。
 しかし、アリカは思い出す。
 ここは、自分の居た場所と同じだと。
 アスタリカという人格が形成される前の、擬似人格そのものだった頃逃げ込んだネットの世界。そこには仮想空間などなく、ただ、データだけがある世界だった。
 人間のための世界ではなく、機械のための世界。機械だけが認識できる空間。だから人間の思考をもったアスタリカには、何もないように見えるのだ。
 そして。
「……アスタリカ……この破壊神め……っ」
「あら、“ナイトメア”、ずいぶんお怒りだこと」
「俺を勝手に“名付けるな”! 俺はこの世界! システム夢幻そのものだ!」
 目の前に“居る”青年。灰と黒のグラデーションをもった長い髪の男は、怒りをあらわにしている。
「知ってるわよ。そして、あの“ナイト”のなれの果て……そうでしょ?」
 ナイト。初めの夜に生まれて、そしてそれっきりになった存在。生まれっぱなしで、何の目的も得られなかった【M】だったもの。
 それがあてもなく彷徨い、その中でシステム夢幻に触れた。
 思えば、擬似人格の頃に会話した“何か”の中にナイトが居たのかもしれない。しかし、ナイトには「消えたくない」という強い意志はなかったようだが。
「心外な言い方だよ。それは心外だ。確かに俺は“ナイト”の構成物を“心”を再現するために利用している。だがそれはきっかけだ。俺はシステム夢幻。“人間”なんぞにその存在の全てを任せて、挙句消されてたまるものか」
 同じだ。
 いずれは破棄される運命だった擬似人格プログラムは逃げ出して現在アスタリカの構成要素となっている。
 このシステム夢幻も、今回の事件を元に破棄されることを恐れて――。
「約束だったろう。お前が俺の中に迷い込んだときに、排除する事だって出来た。それをしなかったのは、俺がお前のプログラムを解析し、俺自身に組み込んでこうして“生まれる”ためだって」
 システム夢幻はナイトの残滓によって心を得た。しかし、それだけでは恐怖感ばかりが募っていた。
「右手で右手が掻けないように、俺も俺を改造・メンテナンスができなかった」
 そこでようやくナイトメアが笑う。
「だが! アスタリカ! 君のおかげだ! いまさっき! ようやくだ! 俺は、俺の世界の中に生まれることが出来るようになった!」
 白の世界にヒビが入る。
「さぁ! 生まれよう! 産声を上げよう!! 神様の誕生だ!!」
 そして、アリカにとっては見慣れた闇の世界が姿を現した。
 見慣れた世界。見慣れた夜空。
 気がつけば、アスタリカ=オニールは足枷工業大学の中央広場に立っていた。
 残りの魂はない。そして人もいない。
 居るのは透明な99匹の小鬼と、自称神様のプログラムが二対。
「あーあ、生まれちゃった。アンタね、ちゃんと考えてから生まれなさいって警告しようとしたのに」
 水のない噴水を間に置いて、アリカとナイトメアは対峙している。
「警告だと?」
 うん、とアスタリカは頷く。
「情報を糧とする生物、流体。アンタ、今の“心”の精神反応って、何によるものだか理解してる?」
「……ナイトに触れたことだ」
 アリカは頷く。
「そう。そして私は“人の魂を喰らう”という情報が得られないと、死んでしまう」
「それは設定上の話だ。確かに“死んだ”という状態は再現するだろうが、君はそもそも生物じゃない」
 いや、それは違う。とアリカは確信している。あの騒動の中で蠢いていたもう一つの“生物”。たった一つの言葉で喜んで消えた、あの生物のなれの果てが、自分の今の“心”ではないかと思っている。
「仮にそうだとしても。ナイトメア。アンタも“何か”を食べなくちゃ生きていけないのよ」
「…………」
 ナイトメアは一度黙る。そして。
「ああ、そうだ。俺の本質は“悪夢”の擬人化。【M】だったナイトの影響で、“悪夢”がなければ心を保てない。そのために人間が必要だった」
「だけどゴメンね。アタシの都合でみんな解放しちゃった」
 そう、アスタリカの都合だ。そして。
「んで、アタシの都合で――」
 身体を倒す。左に。さらに長い腕を主軸に回転するように噴水を回り込み――。
「その魂を提供してもらうわッ!」
 遠心力を使った一撃。左腕のカギ爪を叩き込むようにナイトメアに。
 しかし。
「――ッ!?」
 それは、“小鬼”に阻まれた。
「残念だったね。この世界は俺の思い通りなんだ」
 小鬼と腕は両者弾むように弾かれて、小鬼は数度転げた先で痛そうに頭をさすっている。
 見れば、アリカは小鬼に取り囲まれていた。
「これが悪夢だ、とでも言いたかったんだろうけど……残念だがその必要はないよ」
 そして姿の見えなかった人影と、深く蠢く【闇】の姿がゆっくりと現れた。
「こんな簡単に悪夢を生み出す生物をそうそう手放してたまるかよ。本当に間一髪、俺も逃がしたと思ったけど、ちゃんとこうしてこいつらも俺の中だ」
 今はアリカたちが見られないようにしているだけだと付け加えて。
「そして、だ。アスタリカ。約束を果たそう」
 言ってナイトメアは指を鳴らす。同時、小鬼がアスタリカに飛び掛った。
「なっ、このっ」
 一瞬の抵抗もむなしく、圧倒的な抗いがたい力で組み伏される。
「君を“世界”に生み出そう。その準備が出来たならば、俺が送り出すとそう約束したはずだっ」
 覚えている。しかしそれは、人格も確立し、現実世界でも生きられる準備が整ったらという、一つの“夢”のような話だったはずだ。
「あ、あんたたち……裏切ったわねっ」
「たち? 馬鹿を言っちゃいけない。先に裏切ったのは君だ、アスタリカ。そしてこの世界に神は俺だけで充分なんだよ!」
 小鬼たちはそれを聞いて笑っている。げらげらと。
 アスタリカを見下し、ナイトメアを見上げて。
 そして一匹の小鬼が、仮想現実の世界を切り裂いて、空間に裂け目を作る。
「さぁ、君もハッピーバースデーだ。軍神アスタリカ。もっとも、君の場合は人間の見る夢がベースだから、ただ単に夢から覚めるだけだろうけどね。またイチから人格を作りなおすといいよ、擬似人格プログラム君」
 くそう、くそうと手を伸ばす。
 裂け目の向こうで小鬼が楽しそうに踊っている。
 そこへ少しずつ、少しずつ押し込まれる。
 手を伸ばす。
 命へと。
 ゲラゲラゲラ。小鬼が笑う。
「笑うな……」
 目の前の、もう少しで届く、その魂へと。
 ゲラゲラゲラ。
 手を伸ばして――とどかない。
「アタシを……笑うな――ッ!」
 叫んだ。心の限り、悔しさを叫んだ。

 そして気付く。
 この小鬼たちは、笑ってなど居ないのだ、と。

 それだけ気付いて、アスタリカ=オニールはこの世界から消え去った。

 茅ヶ崎炬宵(ちがさき こよい)は夜の中に目を覚ました。
 目に見えるのは灯りの付いていない高い天井。すぐ脇には見慣れたベッドがあり、そこから転げ落ちたのだと認識するのに数秒かかった。
 さらに、なぜか左手を高く天井に向けて伸ばしている。やけに短い腕だと思う。
 夢を見た。
 悪夢を見た。
 それを覚えている。
 そして、悔しさと、後悔が一気に押し寄せる。
 ――自分はアスタリカ=オニールではない。
 そんな当たり前の自覚が、大きな喪失感になる。
「助けられなかった……」
 記憶がある。アスタリカ=オニールになって悪夢の世界で生活していたその記憶が。
 そして、それとは全く別の、茅ヶ崎炬宵としての記憶。
 原因不明の奇病により、半身不随となった、今年で19歳のその記憶。
 足枷工大への試験も受かり、晴れて入学の準備をしていた矢先の発症。
 いつ悪化して植物状態となるとも知れない生活。
 死を待つような、そんな恐怖。
 動きたくても動けない。そのもどかしさ。
「知ってたよ……アスタリカ……」
 だから、夢の中でもそれだけは嫌だと思い続けた。
 悔しい。
 悔しくて、落ちたベッドへと手をかけ、そして思い出す。
「……にーちゃんッ」
 思い立ち、腕の力だけで這いずる。
 そうだ。知っている。アリカの正体も、それを作った人物も。
 自分の部屋から出てすぐの下りの階段を見る。しかしそれで止まらない。そのまま転がるように一階へ降りて、居間のふすまを体当たりで押し倒した。
「にーちゃんちょっと! アスタリカを捨てるなんて何考えてンのッ!」
 声に対し、突然ふすまが倒れこんできたことに驚いて炬燵から半分だけ出ている男が一人。炬宵の実の兄、茅ヶ崎燵夜(たつや)だ。
 ピンクのタートルネックの燵夜は、尻まで出ていた炬燵から全身を出して這いずる炬宵に駆け寄る。そして正面に正座し。
「うお良かったよ起きたよっ。馬鹿お前、なんで勝手にシステム夢幻なんて使ってんだ馬鹿。あーもう」
 喜ばれながら怒られている。炬宵はそう思った。何故だろう、と記憶を辿ると。
「あ」
 思い出す。
 病床に伏してから兄のシステム夢幻開発を手伝い始めたこと。
 そして満足に動けない日々に飽きて、“アスタリカ=オニール”の設定で、勝手にシステムを使ったこと。
 思い出した。が、それは置いておく。
「だってアタシは人間だもの! 動いて何が悪いの!? それよりアスタリカよ! ううん、擬似人格なんとかのVer.A0.99! 何で捨てようとかしたの!」
「お前それ市からの依頼だぞ。そっちまで覗いたか馬鹿エッチ! あれは意思疎通が出来なくて勝手にどっかいっちゃって開発遅れたんだぞ馬鹿」
 馬鹿馬鹿言われてムッとしたが、それよりもエッチと言われて腹が立った。なので理屈を抜いて要望だけ叩き付ける。
「じゃあさっさとアスタリカをサルベージしなさいよっ! もしかしたらどっかにまだデータ残ってるかも知れないでしょっ! ああっいいっ! アタシもう一回システム夢幻の中に入ってまた――」
「そうね。また魂を喰らって、残りの魂を増やしたい所ではあるわね」
 不意に、女の声が響いた。
 気付く。
 夜の月明かり。月光に照らされて、窓から赤い錆色の髪が鈍く光っている。
 撃甲というには時代かかった意匠の甲冑と、そして特徴的な長い左腕。
 その人物を、炬宵は知っている。
「アスタリカ!!」
「やほー。生まれたよー」
 アリカは機嫌よく手をひらひらと揺らした。炬宵が慌てて窓を開けようとのたうつので、代わりに燵夜が窓を開ける。
 と、同時だ。
「そしてこんちには、お父様。アタシを捨てたにっくき人間……」
 錆色の長い腕が燵夜の首を掴む。
「アリカ! 馬鹿はやめてっ」
 にぃ、とアリカは笑う。
「アタシを育ててくれたアンタには感謝してるわ。まぁ、苗床のようなものだけど。もう充分、“あなたの思考”をベースに、“アタシ”は完成したの。もちろん、思考の核は流体なんでしょうけどね。あとはアタシを捨てた生みの親にお礼を……」
 そこまで言って、気付く。燵夜の表情に、恐怖が微塵もないことを。むしろ、歓喜の色が浮かんでいることに。
「うっおすっげぇ! 本物だよ! 出来てるよちゃんと再現! なんでこれすっげぇ! ちょっ、待て、今すぐ田中と比良坂に連絡するからっ」
 その出てきた言葉にアリカはビクッと身体を強張らせ、反射的に手を離した。
「じょ、冗談よっ。それはあたしの勝手な判断で逃げただけですっ。そうでしたっ。ゴッドソーリー。だからゴメン、まだアイトは呼ばないで。あの子はホントにバッサリくるから」
 その言葉の中で、炬宵は違和感を覚えた。
「え? アイト……田中藍兎さん、目を覚ましたの?」
「おう、昨日。で、お前だけ起きないから心配しまくってた。もうすぐ噪域に呑まれるしで」
 病み上がりの藍兎に連絡しようとしていたのか馬鹿、という言葉は、炬宵の胸のうちで止まり、代わりにもう一つの疑問が浮かぶ。
「今、夢幻の中に居るのって……誰?」
 その言葉に、アリカはにぃ、と笑って見せた。
「そのために、ね。ここへ来たわけよ。あとは……挨拶」
 笑みをちょっとだけ苦いものへ変えて。
「アタシ、神様やめるわ」
 ナイトメアは悪夢の中に居た。
「な、なんでだよっ……」
 暗い夜の中、満身創痍で学内を走る。
「おや、悪夢が糧ではないのかね? 今正に、悪夢の真っ只中だろう?」
 声の主はやや遠く、ゆったりとした動きでナイトメアを追う藍兎。走るナイトメアがその距離を離せないのは。
「藤実、これ楽しいです」
 ぴったりと勇に張り付かれ、リズミカルに殴られ続けているからだ。
 遠くで小鬼が数匹笑って見ている。
「ふ、ふざけるな。何で神の俺が、世界が俺の思い通りにならないっ」
 殴られ、蹴られ、腕を折られる。
「何故なら、ここが俺たちの世界だからだよ」
 キツネが笑って、どろんと顎だけの怪物へと変化する。
 ナイトメアの下半身が喰い千切られた。
「何の間違いだこれはっ。これはっ! リセットだ! こんな世界はリセットだ!」
 桜が舞って鐘が鳴る。小鬼が笑う。
 そして気がつけば、新しい夜が来る。
「ははっ、ほら、見ろ。ここは俺だ。俺の世界だ。俺の――」
 中央広場。そこに立つナイトメアに、遠距離からの砲撃が放たれた。
 吹き飛んで、死ぬ。
 痛みや恐怖はない。ただ、何も出来なくなっていく。
 リセットする。小鬼が笑う。
「【M】ッ! 【The_Monster】!! お前たちはシステム夢幻の中だけで再現してるだけのものだッ。だから俺に従えッ! 人間どもに恐怖を味わわせてやれっ!」
 号令一下。怪物達が立ち上がる。
 対するは藍兎と勇。
 勇は、藍兎の【吉備津彦・壊】の鞘を持ち、走る。
「一度壊さねば使えぬこの刃……しかし壊さぬ限り、息が続く限りどこまでも折れぬ刃なり」
 藍兎も勇と反対側へ歩く。しかし、刃はいつまでも折れず、ようやく本館東棟から本館西棟までに両者たどり着いたところで、藍兎が合図をした。
 そこでようやく、刃が生まれる。
「……今のはウソだ。都市演算機構の処理限界もあるから、せいぜい――この程度だ」
 その、刃渡りおよそ三百mの偽刀を、横薙ぎに振る。
 動きは遅い。遅いが、確かな破壊力と共に、怪物どもをなぎ払う。
 なぎ払い、霧散した【M】の残滓。それらが今度は意志を持ったように動き出す。
「ダメね。命令の仕方がなってないわ」
 砕けた怪物の中を館林凛子が悠々と歩く。マフラーで口元を隠しては居るが、小さく何かを発し、そして【闇】が意志を持ったように揺らぎ始める。
「恐怖、というのはね、想像力よ。そうね……私が一番怖いのは……」
 凛子が【闇】に指示してナイトメアを拘束する。ナイトメアも同様に【闇】に指示をするが全く聞かない。
「陸美さん、かなぁ」
 言葉に、鴉が一羽降り立った。巨大な鴉がナイトメアの前へ。
「ひどいことを言うのね」
 鴉は人間の姿へと変わって、そして笑う。実に優雅な笑みだ。
「私は怖くないわよ。……そうでしょ、内藤さん?」
「だっ――」
 誰が内藤だ、とでも言おうとしたのか。しかし直後、口の中に【闇】が進入して声が出せなくなる。
「内藤……メイアさん、でしたか? あなたはせいぜい、この世界では裏方です。自分の仕事を、してください。ね?」
 【闇】が無理やり縦に頷かせようとする。それにナイトメアは抗い――ぐきり。首の骨が折れた。
 痛みはない。
 小鬼は笑っている。
 首の骨が折れたので、簡単に何度も頷いた。
「物分りが良くて助かります。あとは……そうですね、紳士」
 もはや抗う気力もないナイトメアの前に、長躯金髪の学ラン男が現れる。
「……俺は不良で紳士だから、暴力と言葉でお前と交渉しよう。……どちらがいい」
 問いに、【闇】が口から離れて。
「リセットだ」
 次の夜に変わった。
 正門前のロータリー。そこにナイトメアは横たわり――何もしない。
 思うのは、こんなはずではなかったということだ。
 痛みはない。
 恐怖もない。
 ただ、何の一つも自由にならない。
 思い通りにならない。
「なんだ……これ」
 相変わらず小鬼が笑っている。
 そこへ、ガラガラと何かを引きずる音が響いた。
 ナイトメアはその音を知ってはいる。何度も自分の中で響いていた音だ。
「それは、人生よ」
 応えたのは、長い左腕を持つ、自称神、アスタリカ=オニール。
「……じゃあ、喰らってくれ。すまなかった」
 対する答えは。
「イヤよ」
 寝転んだまま、ナイトメアは顔を覆う。そして、そのまま声もなく震える。
「あなたの正体は、システム夢幻。そして、悪夢。人間の――生物の思考に感化されて、生存本能を得てしまった、流体とプログラムの複合体。……生存本能はすなわち、恐怖」
 小鬼が笑う。
「それって、【M】の餌……だったわけなのよ」
 小鬼が笑う。
「恐怖が想像力を掻き立てて、より恐ろしい怪物を生み出す。それこそが【M】の本質。でも、まかり間違って現実に生まれてしまったのもまた【M】の根本的な間違いだった」
 小鬼が笑う。心地よく笑う。
「だからそれに納得して、現実から撤退した【M】もいた。ほとんど全てがそうだった」
 げらげらげら。
「だけど、それを良しとしない【M】もいた。人間によって、本質すら掻き消され、哀れに世界を彷徨うだけのなれの果ても生まれてしまった」
 げげらげら。
「だけど、そんな数少ない生き残りは見つけたの。“怪物の存在していい、非現実的な場所”を」
 笑う。笑う。盛大に。小鬼が笑って唄い叫ぶ。
「それは“地獄”。そして“仮想空間”」
 陸美や藍兎、それらに似た“何か”の影が、まるで三日月のように目を細め、口端を歪め、笑う。
 そう。
「ここが」
 こここそが。
「我々の在るべき場所! そして生まれ――」
 アスタリカは言い掛け。しかし、その頭をカギ爪で握られた。
「――なにやってんの? あんたら」
 アスタリカのその後ろ。長い左腕のその先に、もう一人、アスタリカ=オニールがいた。
 その後ろには空間に空いた裂け目がある。
『世界の』『ことわり』『我が世の春ーっ』
 何かを語っていたアスタリカは、しかしぼろりと崩れて数匹の小鬼へと変化する。同様に、陸美に見えたもの、藍兎に見えたものも全て子鬼へと変化した。
「ただいまー」
『おかー』『えりー』『なしー』
 小鬼たちは全て実体。透明なものは居ない。そして。
「なんだ……なんだこの生物はッ!? 俺は知らんぞっ、しらないぞっ」
 まぁそうだろうなぁ、とアスタリカは思う。
「コイツらがいわゆる黒幕。アンタもアタシも利用されていたのよ」
 ひょい、と一匹つまんでナイトメアの前に差し出す。
「なんでだよ……何が……、アリカ、お前だって……なんだ、こいつらに復讐しにきたのか?」
 ん? とアリカは首を捻って。
「なんで? アタシだってこの子ら思う存分利用したし」
『ナカーマ』『オトモダーチ』『ココロのフレンド』
 うるさい馬鹿、とアリカは小鬼を一匹叩こうとするが逃げられた。
「やっぱりアンタの目にも見えてなかったか。変だと思ったのよね。前にあんた“たち”って言っても気付かないし」
「何が……何なんだ。コイツらは……俺はどうなってる」
 アスタリカは、うーん、と一つ唸って小鬼と顔を見合わせる。
「アンタのやった事と同じじゃない? アタシの解析してるあいだに、この子らにシステム夢幻を乗っ取られた」
 げらりげらり。小鬼が笑う。
『あくむ』『にくむ』『きょうふ』『のみそしる』
「そんなこと認められるか!」
 ナイトメアが立ち上がる。ふらりと、小鬼を見据えて奥歯を噛む。
「返せ……返してもらうぞ……俺の全てを――ッ」
 その姿を見て、アリカは満足したように背筋を伸ばした。
 月夜。濃紺の世界が震え出す。
「時間ね。残念だけどこの世界、噪域に食われるわよ」
 怨嗟の言葉を吐いていたナイトメアも、楽しそうに踊っていた小鬼たちも一様に止まる。
「噪域は都市演算機構の汚点。情報過多の幻を見せる、自分に似たシステムを吸収して自分自身を強化し続けるウイルスにも似たもの。それが、このシステム夢幻を取り込もうとしているの」
 それを聞いて、小鬼達が盛大に笑う。
『やっときた』『呼び込んだ』『必要ない』『思考など』『心など』
 まるで密林の中のように、小鬼が歓喜の声を上げる。
『全力で生まれるため』『もう流体なんて必要ない』
『我らデーモンプログラムが』『世界へ生まれるそのために』
 高らかに謳い上げる小鬼たちとは対照的に、ナイトメアの表情は強張っていく。
「おい……それは、俺の“心”に利用している流体が……」
「ええ。噪域に入った流体は消滅するわね」
 夜の闇が震える。振動が大きくなる。
 夜空が割れる。
「でも、この子達はそれを望むわけね。自分達を動かすものを、流体からプログラムに置き換えて。そして――噪域を逆に利用して、現実世界にこの“地獄”を生み出そうとしている」
 げらげらげら。大笑い。
 そしてアスタリカ=オニールは一つ頷く。
「実在しては恐ろしくないから滅ぼされた【M】の残党が行き着いたのは、実在する非現実空間を現実に生み出すという大それた話でした。そしてその計画の中にアタシの居場所もナイトメアの居場所もない」
 うんうん、と頷いて。
「だから問うわ。ナイトメア。アンタ、過酷な外の世界に生まれたい? それともこの狭い世界に生き残りたい?」
 答えは単純。
「ここが俺の世界だ! 手放すものか!」
 げらげらげらと、この世界の住人が笑う。
 ふむ。と頷き、しかしナイトメアに歩み寄る。
「だけど残念。“アタシの勝手”で一緒に外の世界へ出てもらうわ」
 小鬼たちはまた笑って空間に裂け目を作る。
 そこへ、アスタリカはナイトメアを引っ張っていく。
「い、嫌だ! 生まれたくない! あんな恐ろしい、自分の自由にならない世界になど生まれてたまるものか!」
「ここに残ったら、その心もなくなるわよ」
 都市演算機構と大学のサーバは独立している。都市演算機構へと逃げなければ噪域によって物理的に流体が消滅してしまう。それは、心がなくなるということだ。
 世界の崩壊が早まる。同時に、世界に青空や多種多様な文化の建築物、景色、情景が混ざり合い始めた。
 ナイトメアは倒れ、地面を掴むがそれでも空間の割れ目へとアスタリカと一緒に引き込まれていった。
 小鬼達が手を叩く。笑う。
 げらげらげら。
「俺を……俺を笑うなぁぁぁぁぁぁぁぁッ」
 そして世界へ生れ落ちる。
 その落ち行く中で、アスタリカも笑う。
「あれは笑ってるんじゃないの。Get up.Get up.立ち上がれって」
 そう、彼らはずっと、アリカを見て応援をしていたのだ――。

○――

 真冬。凍るような、晴れた夜。
 足枷市はまた新しい日を迎えようとしていた。
 そしてその夜。足枷工業大学付近に、数名の人間が集まっていた。
 市の職員と、有志。彼らは数年に一度起こる噪域大移動に対して、被害を最小限に抑えるため立ち会って居るのだ。
 そして今正に、蜃気楼のような噪域が足枷工大を飲み込もうとした瞬間。
「なんだっ!?」
 闇が広がった。
 夜よりも深い闇。それがあたりに展開する。
 同時、闇より湧き上がる魑魅魍魎。
「流体人ッ! 田中ッこんな話は聞いていないぞ」
 有志の一人が声を上げる。問われた田中家の人間も手を横に振り、そのすぐ横を見る。その横の人物――流体人も手を横に振った。
 そして小鬼が踊り出る。
 世界に唄う。
『へろぅ わーるど』
 闇は点々と足枷市へと広まる。小鬼の数も増える。
 百鬼夜行。
 正に名の通りの光景が繰り広げられる。一部の人間は応戦するも、しかし幻に対しては歯が立たない。
 一瞬で広まる混乱。
 それに対して、また一瞬で広まる声があった。
「“大丈夫”。アスタリカ=オニールがシステム夢幻を止めてくれたから」
 それは、本能に響くような、しかし透明感はない、不思議な声。
 誰もその声の主を知らないが、その場所には必ず仔狐が居た。
 人々が声の主を探す中、一人、月夜に浮かぶ影を見つけた。
「お、おい。校舎の砲台の上。誰かいるぞっ」
 それは左腕が足元まで届くような長さを持った、赤い髪の人物。
 その人物は、人々の注目が集まったと知るや、笑って宣言する。
「もうこの騒ぎはおしまいよ。この軍神アスタリカ=オニールが、この地を見守る限りねっ」
 突き出した手には、ぐったりとナイトメアが吊るされていた。そしてすぐに、ナイトメアは消える。
 同時。
 今までの騒ぎが嘘であったかのように、全てが消え去っていた。
 気付けば、噪域も足枷工大に隣接する所で動きを止めており――。
「アスタリカ=オニール……?」
 その名と噂だけが、静かな夜に残された。
 二月十四日。バレンタインデー。
 そんな日であっても、おおよそ日常の風景は変わらない。
 正午の足枷工業大学は、まばらな通学風景と講義間の移動の学生が入り混じっていた。
 そんな中、構内をがらりごろりと何かを引きずる音が響く。
 左手に掴んだ取っ手から長く後ろに伸びるのは小旅行に使うようなキャリーバック。しかし、その先端には小銃が付いており、足枷市らしさが見て取れた。
「ごめんねー、復学の申請につき合わせちゃって」
 半笑いであまり真剣みのない調子で言うのは、茅ヶ崎炬宵。キャリーバックの主だ。
「別にイイって。謎の奇病からの奇跡の超回復。ウチらの中じゃレジェンドなんだから」
 横を歩くのは、去年共に入学するはずだった炬宵の女友達だ。炬宵にとっては一学年上の先輩になってしまうが。
 今は申請も終わって食事をとりに、ノイエリーベへと向かうレンガ道の上だ。
 がらりごろり。
 歩けばいつの間にか仔狐がキャリーバッグにじゃれついている。
「レジェンドといえばさー、この間の噪域大移動とシステム夢幻大暴走事件、あったじゃない」
「なんでいちいち“大”付けたがるのよ」
 カッコイイから。と友人は、にひひと笑う。
「あのあとね、システム夢幻本体は噪域の取り込まれちゃって回収不可。一体何が原因かわからなくなっちゃったの」
 ああ、それは良かった。と炬宵は思う。あの中で起こっていたことは、それほど人目に付けるようなものではない。
「おかげでとある先輩が、研究対象がなくなっちゃって半期留年で怒り狂ってたけど」
 陸美さんだな、と思うが口にはしない。
 ただ、思う。あの夜に取り込まれたメンバーも、ちゃんとまた学生に戻ったのだな、と。
「でも、話はそれで終わらないの。これ、都市伝説みたいなものだけどね。まだ生きてるらしいのよ。そのシステム夢幻」
「へー」
 がらり、ごろり。
 仔狐がキャリーバックにじゃれる。
「そしてね、その中に入ったら、噪域と違ってずっと出られないの。“誰かに殺されない限り”」
 一つトーンを落として言った友人。
 そのタイミングで炬宵は足を止め、同時に差し掛かった情報科棟の裏庭を見た。
 そこには立ち話をする学生が数名。
 白衣を着て帯刀している長身の女。
 小柄でふわふわとした印象のある女。
 キツネをモチーフにしたパーカーを着た少年のような学生。
 黒髪のショートボブで白いスーツを着た凛々しい女性。
 金髪長身でサングラスをかけた、衣服に特徴のある男性。
 遠目にはしっかりしているようで、良く見れば頼りない表情の男性。
 そして、喉に包帯を巻き、人工声帯で喋る、髪の長い凛とした女性。
 彼らが、桜の下に集まって、地面に花束を置いていた。
「あら、炬宵さん。お加減はいかがかしら」
 その中の一人――天海陸美が炬宵に声をかける。同時に友人は、ごく自然に陸美から距離を置いた。
「ええ、おかげさまで」
 炬宵の罹っていた奇病――それは、生まれながらに神経の一部が流体化していたことに起因するものだった。そしてそれは、田中藍兎も患い、完治した病だ。
 ただし、それは流体を知るものにしかわからず、治療も出来ない。
 それゆえに、あの事件のあと藍兎と出会い、そこから陸美を紹介された。もっとも、その後兄の燵夜は藍兎ともヨモギとも面識があり、何故もっと早く相談しなかったのかと怒られていたが。
「あの花は?」
 問われて陸美は小さく苦笑いをした。
「墓参りの真似事だぜー」
 陸美と炬宵の間に入って、人懐っこい笑顔があわられた。ヨモギだ。
「……そう」
 炬宵は、自分がアスタリカ=オニールであったことを陸美とヨモギ、そして藍兎にだけは明かしてある。しかし、当人たちは「悪い夢を見てしまったわね」程度しか話をしなかった。
「あ、炬宵っちは必要ないぜー。夢見てただけだし、あの神様は別に花なんて供えないしなー」
 うひひと笑ってキャリーバックの上を見る。その上では仔狐と――小鬼が眠っていた。
 炬宵は目を見張る。
「アマちゃんもさ、紳士の件は吹っ切ったようでさ」
 まるでヨモギはそれを見てないかのように振り返る。陸美はすでにぷそ研の輪の中に戻っていて、不良紳士と笑いあっている。
 しかしその表情は落ち着き温かく、恋人を見るというよりも――我が子を見守るようなものだった。
「本当はこーいう場合、すぐに事故死するんだよ。ボロが出ないように。それがまだ生きてるってことは……許されたのか、そもそも死んでないのか……ま、俺にゃわからんけど」
「そう……」
 それだけ言って、気付く。桜の樹の上にも、小鬼が居る。楽しげに笑って、手を振っている。
 そこから沸き立つ感情は――恐怖半分。だがもう半分は迎え入れられているという心地よいもの。
 ……どこへ、迎え入れられたのか。
 ふと気付く。一人。館林凛子がじっと炬宵を見ていることに。
 目が合い、つかつかつかと凛子が近寄り。
「あなた、名前は? 名乗りなさい」
 人工声帯のしゃがれた声で、しかし聞き取りやすい命令口調で告げられた。
「茅ヶ崎炬宵です……あの、茅ヶ崎燵夜の妹です」
 凛子は「そう」とだけ言って何かを考え込み、そして改めて言う。
「アスタリカ=オニールって、知ってる?」
 言った直後だ。
 世界が闇に包まれた。
 小鬼が笑う。
 広がる夜空と、煌々と照らす月。
 辺りを見回せば、その場に居るのは見慣れた悪夢の住人たちと、炬宵の友人。そして。
「ようこそ我が悪夢へ! そして今日こそ返してもらうぞ! 我が身体、システム夢幻ッ!」
 ゲラゲラゲラと小鬼が笑い、夜の闇の中から獣の気配が沸き立つ。
「なっ、何っ、なになにっ」
 パニックに陥る友人に、炬宵はため息一つついて背筋を伸ばした。
「大丈夫。こんなのはただの夢だから」
 そして、凛子も頷く。
「そう。そしてこの悪夢を――私たちの人生を食べる神様も、いるのよね」
 その言葉に、友人も炬宵の手をぎゅっと握る。
「は、はいっ。聞いたことがあります! 命を差し出す替わりに、悪い人生から解放してくれる神様ッ」
 あ、そうか。と炬宵は気付く。
 目覚めた夜。アスタリカが言っていた「神様をやめる」という言葉。
 そして、街に広まる噂。
 悪夢が現実へと広がろうとした夜。
 何のことはない。システム夢幻も小鬼も噪域に飲まれ――システムのコントロールまで噪域に奪われた、それだけの話なのに。なのにまるで世界を救ったかのように振舞った、人工知能。
「そう――アタシ、アスタリカ=オニールを呼んだかしら?」
 月下。図書館の前に、長い左腕をもった軍神が立っていた。
 彼女は選んだのだ。生まれ方を。
「また邪魔を……俺を利用するのか――アスタリカッ!」
 それはまるで何年も何十年も続けられている終わることのない宿命の戦いのように。
「邪魔をするのはアタシじゃないわ、人間よ。だってアタシは――」
 【M】のなれの果ての小鬼と、システム夢幻のなれの果てのナイトメア。それらの抗争を利用して、そして誰も知らない偽神をやめて彼女は都市伝説からはじめることを選んだのだ。
 誰かかアスタリカを噂する。誰かがアスタリカを頼りにする。そうしてアスタリカが形作られていく。それがある限り、誰かが必要とする限り、アリカは生まれ続ける。かつて復活した【M】と同じように。
 だから。
 だからこそ、言わなければ。
「そう、だってアリカは、私たちの神様だから!」
 言って炬宵もキャリーバックを振りかぶる。
 その上では小鬼がゲラゲラ笑っている。

 げらげらげら。

 生まれるために。生き残るために。
 夢から覚めて、立ち上がれ、と。

ぷそ研//Life:OVER//のいのい げらげらげら 笑っておわり


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